新林公園

1999年の天皇誕生日の午後、藤沢市の新林公園に散歩に出かけた。湘南に住んで20年になるが、新林公園は初めてである。鵠沼で江ノ電を下車、境 川を渡ってパイニー前から境川東岸に沿って旧江ノ島道を北上する。ミネベアの工場を過ぎるところで新林公園入り口がある。駐車場もあった。谷に水田の灌漑 用に作られた溜め池を中心とした公園で中に旧小池邸がある。旧小池邸は江戸時代天保12年(1841)に棟上された建物で市の文化遺産として新林公園に移 築された。寄棟造りの萱葺きで土壁、石基礎、土台には栗が使われている。小池家は代々柄沢村(からさわ)の名主であった。

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旧小池邸

旧小池邸の裏庭から尾根に出て約600m尾根道を歩くと片瀬山北公園に出た。片瀬山北公園から相模湾に沈み行く夕陽が良 く見える。そこだけ家が建っていない空き地があるためである。この空き地を注意深く観察するとどうやら道路予定地のようである。片瀬山北公園そのものが道 路予定地の有効利用のようである。

藤沢をバイパスして国道1号と湘南道路を結ぶ予定道路のうち、国道1号から関谷インター経由を経由して東海道線と柏尾川を渡り、鎌倉ー藤沢線に達する部分 が最近、20年ががりでようやく開通した。この延長部分が片瀬山を貫通する予定地と見うけられた。鎌倉ー藤沢線から片瀬山までの道路は新林公園と東レ中央 研究所の間の谷を登るようである。片瀬山から先の境川沿いの予定地までの用地買収が終わっていないようなので、何時完成するか?旧江ノ島道は旧東海道沿い の遊行寺と江ノ島を結ぶ道で片瀬山沿いにその麓を南下するが、新道は片瀬山を直登し下るので見晴らしは良いであろう。最近開通した国道1号から東海道線と 柏尾川を渡って鎌倉ー藤沢線までの部分は丁度旧小池家のあった柄沢村を貫通している。柄沢村の西側は大鋸で横浜山手聖公会や山手111番館を設計した米人 建築家J.H.モーガン(1877-1937)邸がある。一時、故横井英樹の別荘としても使われた。

1999年12月24日にこの新しい道路を走ってみた。ナスステンレスの倉庫がスーパー「オリンピック」になっていた。駐車場も大きく、混雑する藤沢まで買出しに行かなくてもすむ。

2005年7月10日、登山訓練のため1週間に7万歩を維持したところ腰痛もとまり、まことに具合がよくなった。この7万歩を維持するための方策として藤 沢往復もしたが、同じ道は飽きる。そこで新林公園を横断することにした。西鎌倉から片瀬山一丁目へ抜け、片瀬配水池横の高圧鉄塔下から入るのである。新林 公園内の山道をたどり、境川を渡って奥田公園に抜ければイトーヨーカドーに直結している。西鎌倉ではホオジロが元気に「一筆啓上仕り候」と元気にないてい た。新林公園ではリスに獲付けしている人がいて人懐っこい。

2012年9月11日、シカゴからヒューストンまでのバイクライドのために体を鍛えようと、七里の自宅から藤沢まで山越え で歩いた。1時間半かかった。ルートは腰越中学からモノレール片瀬山駅を横切り、腰越配水池南の狭い歩道をぬけて西鎌倉から片瀬山に抜ける。この道は 3,000Vの送電線の通り道でもある。 2005年使った片瀬配水池横の高圧鉄塔下から新林公園内に入り、右手山道をたどり古民家にくだった。

2012年10月7日、ルート66の旅から帰って初めて、自宅から藤沢まで片瀬山越えを歩いた。

藤沢⇔自宅間は@国道を歩く、A境川の土手を歩く、B片瀬山越えの3通りある。距離的にはBが一番ちかいが結構の山道である。

2017年3月6日、運動不足解消にと、自宅を11:00に出発。片瀬山住宅地、新林公園経由 藤沢まで歩いた。片瀬山の「やまかストア」で弁当を買い、 片瀬山北公園でその弁当を食べているとトンビに油揚げならぬ、サバの塩焼きを奪われた。弁当から飛び出して地面に落ち砂混じりになったサバは彼らにくれてやり、新林公園の樹林帯には いって残りの菓子パンをほうばる。トンビは林のなかまでは入ってこない。

クスノキの巨木

ピークに立つNTTの電波反射板は昔の儘、現役のようだ。

公園は結構な傾斜の山で、クスノキの巨木もあり、タイワン・リスの天国となっている。谷底にはかっての溜池があり、池は塀で囲われ、バードウォッチングの穴が穿ってある。旧小池邸の前庭に梅は満開であった。江ノ電で帰宅。

1999年12月23日

2017年3月6日 改訂


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