2017/3/24
散歩かたがた扇湖山荘の春の公開日に出かけた。丁度昼の12:00自宅から七里ヶ浜2丁目の坂を下り、谷底におりて再び七里ヶ浜東の坂を登り、和食屋の「さらい」でア
ジの天ぷら定食をとる。食後、真っ直ぐプロムナードを歩いていると桜が2輪咲いていた。鎌倉山への急なS字坂を上る。山の北側に回り込めばいつもは閉じて
いる正門が開いていた。13:00少し過ぎにつく。いつもは閑散としている正門前は大勢の参観者であふれていた。
正門
構内には鎌倉市の職員が配置されている。そのまま進めば車寄せに行くことになる。しかしそこ
には係り員がいて左に曲がり、椿園の方にすすめという。茅葺門(茅はすでに失われたが予算が無いので仮の屋根で覆ってある)をくぐって左回りに急坂を上る
と鎌倉山の最高地点(119m)と思われる丘の上に出る。
北に眼を転ずると横浜のみなとみらいの横浜ランドマークタワーやNTTの電波塔などの高層建造物が見えたので望遠レンズで撮影しておいた。しかし殆どかす
かに写っているだけだったので、ボツにした。思い直してアドビのフォトショップで画面を暗くし、コントラストを最高にすると、なんとNTTの電波塔の少し
左に東京スカイツリーが かすかに写っているではないか。ビックリ。
NTTの電波塔の手前の灰色ビルは千代田化工本社、ランドマークタワーの右の白色ビルは日揮。ヨコハマ・グランド・インターナショナルの頂部もチラット見
える。手前の山は野村総合研究所跡がある常盤の山
である。眼下には鎌倉メンタルホスピタルが見える。下の写真の手前のアンテナは鎌倉メンタルホスピタルの北の崖プチに立っている携帯電話用のアンテナ。常
盤の山はほとんど落葉樹だが、中央に見える杉林は鎌倉市役所から西に向かう道路沿いの円久寺の東側中腹にある杉林のようだ。鎌倉市役所から西に向かう道路も大仏切通しも谷底に在って見えない。野村総合研究
所跡はも少し右。
横浜ランドマークタワー、NTTの電波塔、東京スカイツリー
鎌倉山の頂上には伏見の宮邸から移設されたという伏見亭という茶室群がある。ふすまなど痛んでいるがこれも古いまま。
茶室群から峰に沿って南下すると正門から車寄せの向かう道をつけるためにつけた切通しの上に かかった陸橋の上に出る。やがて孟宗竹林に入り、次第に左にカーブして本館に向かう。
竹林をでて本館
に下る
本館が飛騨高山の民家を移設したものだという。傾斜地にコンクリート製の基礎を造りその上に
鎮座している。車受けは裏側にあり、そこが1階である。
コンクリート製の基礎
ベランダからは逗子から葉山に至る海が確かに扇型に見える。中央に鎮座する小山は極楽寺の切 通しのある霊仙山で、その左手は長谷の配水池から連なる「一升桝遺跡」のある尾 根である。この尾根の手前が稲村ケ崎小学校の奥になる大字「西ヶ谷」である。この谷はトンネルで笛田に続いている。尾根の向う側が稲村ケ崎小学校の体育館 脇の道をまっすぐ進んだ「馬場ヶ谷」で、突き当りは長谷の配水池と大仏坂切通に続いている。この西ヶ谷と馬場ヶ谷の間の山稜部に存在している尾根にあるの が「一升桝遺跡」で、これと対になるのが霊仙山すなわち極楽寺坂切通の成就院の真上にある「五合枡遺跡」である。かって一升枡遺跡付近からこの扇湖山荘を谷越しに見えたと記憶している。
一升枡遺跡と五合枡遺跡が作る扇型の海
芝の斜面に梅林、そして右手にあるしだれ桜の巨木はいまだ未開花だった。前庭は急斜面で谷に 向かって落ち込んでいる。予算が少ないとはいえ、庭師が最低限度の手入れをしている。
本館脇
本館脇から車寄せに立ち寄り、正門に向かって帰路に着く。切通しとその上にかかる陸橋の構造
が良くわかる。この切通しはオーナーの長尾氏が作らせたのか、はたまた古からあったのか疑問がわく。どうも鎌倉時代にここは砦でなかったかとフト思う。と
いうのも西ヶ谷から笛田に抜けるトンネルの上は扇湖山荘と一升枡遺跡を結ぶ陸橋となっているからである。鎌倉を西からの攻撃から守る砦となっていた可能性
がある。
切通し
帰路は久しぶりに広町緑地経由で帰った。木こりがはいって倒木を伐採していた。
後日の2017/3/29、自転車で極楽寺から西ヶ谷のトンネル経由で常盤に抜けるとき、谷底から扇湖山荘の本館がチラと見えることに気が付いた。
March 29, 2017