諏訪大社上社本宮・諏訪湖・神代桜

2009年4月6-7日グリーンウッド夫妻はザゼンソウの里、諏訪大社上社本宮、蓼科横岳、女神湖、白樺湖、諏訪湖畔の原田泰治美術館、甲州武川町山高(むかわちょうやまたか)の神代桜を訪問した。NEWフォーラムのリーダーの西沢氏の神漬グリーン・リサイクルセンター工場長引退をお祝いするために幹事の土屋氏とグリーンウッドの三家族が一緒に一泊旅行に出かけた折のことである。

第一日

中央道八ヶ岳PAで合流。諏訪ICで一般道に入る。ここで昼食用の釜メシを買う。 信越線が廃止されたとき横川から各方面に進出して成功したようだ。辰野方面に向かって急坂を登り有賀峠(あるがとうげ)に向かう。

ザゼンソウ

オキナグサ

ザゼンソウの里公園は有賀峠を過ぎたところの谷間にあった。底なし沼に自生する湿生植物である。ミズバショウとオキナグサは人工的に移殖したものだという。花よりダンゴ、ザゼンソウを鑑賞しながら陽だまりの木道の上で釜メシを食す。

ザゼンソウは開花する際に肉穂花序(にくすいかじょ)で発熱が起こり約25℃まで上昇して雪を溶かす。この時期には数の少ない昆虫を独占し、受粉の確率を上げるために進化したようだ。

発熱のメカニズムは、根に蓄えられていた炭水化物が、花序細胞のミトコンドリアにエネルギーとして運ばれ、酸素と結びつくことで起こる。この反応には、 「脱共役タンパク質」が関わっていることが突き止められているが、このタンパク質は、動物の体温維持に必要な物質として知られており、通常、植物には存在 しないものだ。恒温植物なんて気持ちが悪い。

取って返して諏訪大社上社本宮に向かう。2001年に下社秋宮を訪れたことがある。上社はまた違った雰囲気で、しっかりした門前町がある。

上社本宮 幣拝殿

参道を真南に向かって登ってゆくと左手に本宮一之御柱がある。江戸時代の横綱「雷電」の銅像もここにある。そこから南に向かって石段を真っ直ぐ登り塀重門 をくぐろうと思ったが、正式参拝順路は、一度東の入口御門へ行くのだという。入口御門でUターンして入口御門に向かって西に正対すると右手に二之御柱があ る。屋根つきの廊下(布橋)を西へ進み、塀重門をくぐって、再度Uターンし東へ戻り、拝所で東の幣拝殿に向かって拝することになる。その向こう東南東には 上社前宮がある。この線の南直角の位置に神体守屋山(1,650m)がある。守屋山は昔はミシャグジ神を祀っていたため御射山(みしゃやま)とも呼ばれたが、この地方を治めた 洩矢(もりや)一族にちなんで守屋山と呼ばれるようになった。この守屋山は南南西にあるが、本殿はない。かわりに勅願殿がある。

八ヶ岳の御柱山から切り出した御柱4本は本宮を中心として4本あるのだが、見えるのは北側の2本だけで残りの山側は原生林の中で見えない。

そして東方には八ヶ岳の最高峰赤岳、阿弥陀岳、およびそこから西に伸びる御小屋尾根とその末端に御柱山がある。御柱山が御柱の産地である。そちらに向かって拝礼するような配置である。社殿配置は常識に反して横になっているわけである。 さらに東方はるか先に鹿島神宮がある。

鹿島神宮、香取神宮、諏訪大社、杖突峠、杖突街道、高遠、分杭峠、地蔵峠、秋葉街道、青崩峠、信州街道、別所街道、鳳来峡、鳳来寺山、長篠、砥鹿神社(とがじんじゃ)、豊川稲荷、 豊川、豊橋、渥美半島、伊勢神宮、吉野、四国霊場、阿蘇・高千穂など古いものが中央構造線上にあるというのも妙なものだ。偶然の一致だろうか? 太古の人々がそこに神秘なものを見たのだろうか?

諏訪大社は 昔は日光のように極彩色だったそうだが、信長が全てを灰にしてしまった。

諏訪神社は縄文時代から存在していたミシャグジ信仰を起源にしているという。この信仰は東日本の広域に渡って分布しており、主に石や樹木を依代とする神で蛇の姿をしているとも言われている。御柱はミシャグチを降ろす依り代だという。 石神(しゃくじ)、石神井(しゃくじい)、精進(しょうじ)、十三(じゅうそう)、松本市の三才山(みさやま)などの地名、御社宮司(みしゃぐじ)、御左口神、赤口神、尺神、杓子神、守公神はシャグジに関連のある言葉のようだ。

守屋神社(もりやじんじゃ)では、神官に憑依して宣託を下す神とされた。また1年毎に八歳の男児が神を降ろす神官に選ばれ、任期を終えた神官が次の神官が決まると同時に人身御供として殺されるという「一年神主」の伝承も残っているという。

諏訪上社には、形状としては6つの銅鐸ならぬ小型の鉄鐸を集めた形の御宝鈴、佐奈伎(さなぎ)の鈴と、八陵白銅鏡である鳳凰瑞花八陵鏡、真澄の鏡、そして3つの鈴が付いた大小一揃えの神器、八栄(やさか)の鈴などが、古い祭器として伝わっているという。

上社は縄文時代の狩猟の神とすれば諏訪下社は農耕の神といえる諏訪一族の守護神、諏訪大明神が祭られている。春には春宮、秋には秋宮に遷座するここは狩猟から農耕に移行した時代の信仰を色濃くのこした地方といえる。

参拝後は一路今夜の宿、北八ヶ岳の横岳山腹ピラタスの丘にある「R & S ホテル蓼科横岳」に向かう。土屋氏が会員になっているリゾートクラブ運営の施設である。ここでゆっくり風呂に入り、グローバリゼーションと日本の農業の今後について自由討論する。

カラオケ後、温泉に浸かり、快眠。

第二日

ホテルの食堂からは御嶽山、木曽駒ケ岳から空木岳に至る中央アルプス、千丈岳、甲斐駒ケ岳、北岳そして鳳凰三山の白銀の姿が一望である。特に甲斐駒ケ岳、北岳は近いだけ迫力がある。2001年9月の晩秋に北岳に登坂したときたどったルートはこの写真に見えるリッジであった。

ホテル蓼科横岳から望む北岳と間ノ岳

ビーナスラインで女神湖に向かう。途中、八ヶ岳の全貌を見張らせる峠で一服。女神湖畔のホテルアンビエント蓼科、ル・プラトーでコーヒータイム。 女神湖はまだ氷が残っていた。白樺湖経由諏訪湖に向かう。

諏訪湖ではグリーンウッド夫妻だけ湖畔の原田泰治美術館を鑑賞。西沢・土屋夫妻は美術館の庭でピクニック。

原田泰治美術館の庭でピクニック

諏訪湖畔の手打ち蕎麦屋でそばを食し、甲州武川町山高(むかわちょうやまたか)の神代桜を鑑賞した。樹齢2,000年というエドヒガンの古木である。幹周り12m。日本三大桜の一つである。三大桜には福島の三春滝桜、山高の神代桜、樹齢1,500年の岐阜の 淡墨桜(うすずみざくら)がある。三春滝桜は、バイクで訪れたことがある。巨大な枝垂れ桜であった。2006年に西国33ヶ所の最後の満願霊場華厳寺行った時、淡墨桜も傍までいった。これで2/3は見たことになる。

山高の神代桜

ここで流れ解散とした。

April 12, 2009

Rev. June 10, 2009


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