宮古島

グリーンウッド夫妻は2011年2月2-4日、宮古島を訪れた。1993年に友人の招きで沖縄本島を旅したことはあるが、宮古島は二人にとって初めての土地である。

第1日

9:00藤沢駅南口発江ノ電バスで羽田に向かう。第ニターミナルが昔のターミナルの跡に完成したが、沖縄行きのJALは第一ターミナル発だ。ターミナルビルで昼食をとり、時間調整。 沖縄行きのJALは新設なった海上滑走路から飛び立つ。多摩川の流れを障害にならぬように一部はパイル基礎の上に滑走路がある。

2時間程うつらうつらすると那覇だ。ここで日本トランス・オーシャン・エアに乗り換える。那覇の気温は暖かい。更に小一時間飛んで、宮古島につく。軍艦島 のように平らで山がない。珊瑚礁が隆起して出来た島だそうで全島石灰岩で出来ていて土壌はアルカリ性でパイナップルは育たない。山も川もないため水田も無 い。江戸時代は粟、現在は砂糖キビが主要農作物である。

現在は地下水の流れを止める遮蔽壁を地下に作り地下ダムとしそこから水を汲み上げて、農業用水と飲料水にしているため水は豊富にあるという。ここには不思 議なことにハブが居ないという。バスガイドはアルカリ土壌のためと説明したが、過去の海面上昇によりこの島が水面下になったことがあり、ハブは渡ってこれ なかったかたという説もある。

日が暮れるころバスで今回の宿、宮古島東急リゾートに着く。部屋は白浜ビーチに面し広く快適。正面の島は来間島(くりまじま)である。シャングリラで夕食。ソーキというスープが旨かった。

宮古島東急リゾート

第2日

朝6:00起床。まだ真っ暗である。朝食後、ホテルの庭を散策。ダイビング練習プールがある。前浜ビーチの砂はサンゴ礁のかけらのためかベージュ色がいい。

バスに乗って島内観光に出発。まず人頭税石を車窓から見る。1609年の薩摩藩の侵攻により琉球王国は税を支払わなければならなくなった。財政的に困窮し た琉球王府は、1637年に宮古・八重山地方などへ厳しい人頭税を課した。その際に宮古島では、人頭税石と同じ背の高さになると課税されたと伝えられてい る。この伝承を、大正時代に宮古島を訪れた民俗学者・柳田國男が、著書『海南小記』に書き記したことから全国に広まり有名になったという。実際には身長で 税を課したのではなく、戸籍の年齢が15才になると課税対象になったという。

次に砂山ビーチにて少し歩く。遠くに3つの風車が見えた。

砂山ビーチ

ここで田中一村が奄美大島で描いたアダンの木を見つける。

田中一村のアダンの木

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池間島(いけまじま)に渡る池間大橋を渡る。ここから先に見えた風車は西平安名崎(にししびょうなみさき)の上に設置されていることが分かる。池間島の土産店で小休止。 土産店で買い求めたシマ・ラッキョウの塩もみは程よい塩で大変美味だった。

再度橋を渡って雪塩製塩所を見学。石灰岩でろ過された海水を汲み上げ、RO膜で濃縮、さらに煮詰めて、濃塩水を加熱した金属板に噴霧して細かい塩の結晶に する製法である。苦汁成分を100%含むので食卓塩に使うとよいらしい。豆腐もつくることが出来る。との口上につられて土産に購入。

島を縦断して東平安名崎(ひがしびょうなみさき)に向かおうとするとき、島尻の入り江でマングローブ林がチラッと見えた。島の東側の道路をひたすら走って東平安名崎につく。途中航空自衛隊のレーダードームが野原岳(110m)の山頂に見える。東平安名崎の景観はなかなかよろしい。ここで記念撮影。

東平安名崎

絶世の美女といわれた平安名(びやうな)のマムヤの墓を見る。妻子ある野城按司(ぬぐすくあす)にみそめられたが、捨てられ、平安名崎の断崖から身を投じた。

海宝館で昼食。このレストラン付属の貝の博物館はオーナーが収集した貝を展示してある。なかなかのコレクションで館長自らの説明が面白い。無論土産物を売りつけるのが目的だが。バスガイドはあの館長はなかなかの「ほらふき」でしょうという。

平良港に移動し、フェリーで伊良部島(いらぶじま)にわたる。平良港には商船三井の日本丸が停泊中で あった。平良港はやけに立派な防波堤を持っている。伊良部島にわたる4kmの橋も半ば完成していた。米軍基地を持っているためか、税金が潤沢に沖縄に投じ られていることをうかがわせた。完成したところで観光客を除き利用者は殆どいないだろうと察せられた。

伊良部島の北端白鳥崎から西のサンゴショウを見る

佐和田の浜

佐和田の浜のあと、下地島(しもじしま)に渡る。ここには日本唯一の民間航空パーロット訓練専用飛行 場、下地島空港がある。完璧な飛行場だが客の乗降はない。普天間の飛行場の移設問題で、辺野古を埋めててて新しい空港を作りより、すでにあるこの空港を利 用すればいいのではと思ったのだが、下地島や伊良部島に住む人たちの大反対で、この話はなくなったという。Utubeに もこのいきさつが表明されている。じつはこれは表向きの綺麗な話で、軍事的には日 本の西端のあたるここは西からの攻撃に脆弱で、軍事的には使いたくない、せいぜい緊急時の利用というのが本当ではないか?それに米兵にとっては辺鄙な島で は家族にも不便で行きたくないところということになるからかもしれない。実は隠された利害関係は日本の官僚が政治家より上位にあるためには日米同盟が命綱 というところがあり、米軍を下地島などに閉じ込めるわけにはゆかないとの官僚の暗黙の了解があってもおかしくない。

通り池

浜口の浜と廻り、再度フェリーで帰る。 下地島の西岸は石灰岩の崖になっており、崖の内側が陥没して3つの池になっている。海水と真水が混じった水とのこと。遊歩道の両側はアダンの木だらけである。再度伊良部島に戻り、南の端にある渡口の浜にあそぶ。 潮風が心地よい。

フェリーで宮古島に戻る。フェリーに代わって4kmの橋が建設中であった。これも無駄な税金の使い方だと感じる。島の観光の情緒がまるで無くなる。 夕食までの時間、庭を散策した。ガジュマルの木やヤエヤマカズラ(ベンガル・スカイバイン)を見る。1993年に沖縄を訪問したとき購入して数年育てたが、寒さに弱く結局枯らしてしまった。

ヤエヤマカズラ

人工のラグーンには海水を引き入れ、マングローブの林を作ってある。樹齢20年とのこと。

人工マングローブ林

ここでカラス程の大型のヤエヤマオオコウモリ(フルーツバット)の撮影に成功。果物を食するという。

ヤエヤマオオコウモリ

第3日

朝一番で来間島(くりまじま)に渡る。島の頂上は平らでやはり砂糖キビ畑となっている。宮古島に 戻り上野ドイツ文化村のお土産屋(琉球の風)を訪問。ドイツのマルクスブルグ城を再現した宮古島のテーマパークだという。ドイツの商船ロベルトソン号が航 海中に台風に遭い、上野宮国沖合で座礁。これを発見した住民は一晩中たいまつの灯で乗組員を勇気づけ、荒れ狂う海に小舟を出して乗組員を救助。その後も 1ヵ月あまり手厚く看護し、無事本国へ送り返した。このことに感激したドイツ皇帝ウィルヘルム1世は1876年、村民の博愛精神を讃えるために「博愛記念 碑」を建立したゆかりの地だそうだ。しかしメンテナンスが悪く、うらぶれた感じ。ホテルアトールエメラルド宮古島はオリックスのキャンプ地となっていた。

宮古島熱帯植物園を散策後、宮古島空港を離れた。

来間大橋

February 9, 2011

Rev. November 9, 2015


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