刈萱山西光寺

2011年3月19日、甥の結婚式のために長野市を訪れた。2009年高野山で刈萱堂をみて、ハテどこかで記憶があるところだと気になっていた刈萱山西光寺を訪れた。

善光寺より更に登ったところに刈萱堂往生寺というものがあるが、私にとってそこはどうでも良い。なぜなら問御所町の借家に住んでいたことがあり、そのすぐ南隣の石堂町(石童丸に由来)にこの寺があったからである。

宿泊した駅前のホテル・メトロポリタン・ナガノ(Hotel Serial No.439)から中央通を善光寺に向かってのぼってゆくと右手にある。庭には開祖・刈萱上人とその子信照坊道念(幼名石童丸)の銅像がある。石童丸の話は説教節で全国に流布した。刈萱上人と兄弟弟子だった親鸞聖人が当山を尋ね、50日間逗留したこともあるという。

刈萱山西光寺

善光寺にお参りした帰路、かって住んだ借家のあった問御所町を訪れてみた。家があったところは駐車場になっていたが、記憶にある地形はそのままだ。南側の土地はやがて丸光というデパートが建ったが、そごうに買収され、そごうが撤退した後は信越放送(SBC)の本社ビルになっている。家の前は段差があって、その低地をながれていた小川は暗渠になっていた。この川にそって下るとやがて鍋屋田小学校の前にでる。始めて登校したときは北門から入った。そこに行って見ると、校舎こそコンクリートになっていたが校庭と校舎の配置は昔のままだった。

あらためて家の前にながれていた小川を地図で調べるとこれは北八幡川であった。少し上流の信濃毎日新聞社南で分水した南八幡川はかっての川端中学(現桜ヶ丘中)の前をながれて高田の灌漑用水になっている。この南八幡川が氾濫して洪水になったことを記憶している。あの恐ろしい南八幡川の上流が家の前を流れていた小川であったとは驚きであった。

April 11, 2011


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