房総

花嫁街道・烏場山(からすばやま)

2010年2月16-17日、wakwak 山歩会は 房総の花嫁街道・烏場山(265m)の散策を楽しんだ。2007年の伊予ヶ岳・富山以来の房総行である。今回は、ネーミングの良さと、岩崎元郎の「新日本 百名山」入りでさらに人気の高まった花嫁街道・烏場山を幹事のコンチャンの案内で歩くことになった。総距離12.4km、累積登り506m、累積下り507m。

花と捕鯨で有名な和田浦を起点に、かつて山間部の女性が海辺の町に嫁ぐとき、行列が往来したという「花嫁街道」をたどって、房総の山なみが見渡せる烏場山 に登り、逆光に輝く大海原を眼下にのんびりと下る約4時間の周回コースである。


第一日

15:40和田浦駅集合とのことだったので横浜の「そごう」で明日の昼食を仕入れる。昼食用にコンビーフの缶詰を買うが1,000円もする。国産の無塩 析、保存料無添加とか。あまりに高価なので返品し、米国産の300円のものにする。それにしても国産の無塩析、保存料無添加にこだわり、このような高価な 品を買う豊かな人がいるのかとビックリする。価格と品質のバランスがとれていない商品だ。ついでに新潟の「にごり酒」を仕入れる。これはまた意外に安い。 国産の無塩析、保存料無添加と同じ値段だ。最近金の価値が分からなくなった。

バスで木更津に向かう。木更津からは内房線だ。数本前の電車できて浜を散策したという仲間と合流。花の宿安田(Hotel Serial No.473)に投宿。新潟の「にごり酒」は美酒であった。世の中どうなっているの?

洋式捕鯨砲

1857年スコットランドのロバート氏考案になる洋式捕鯨砲が宿の入り口に展示されていた。明治時代に伝来した日本では最も古い型式という。真鍮製であ る。主としてツチクジラ・コクジラなどの小型捕鯨に使用されたという。

和田浦は沿岸捕鯨の基地とか。鯨三昧の料理をいただく。沿岸捕鯨は国際的にも認められているのだから、遠慮なく舌鼓をうつ。国際水域で縄文時代よろしく採 集をし続けるなど国際倫理にもとる行為との認識が政府に無いのはどういうわけか?民主党も知らぬフリ。役所の既得権益保護に国民は目潰しを食っているので はと愚考する。


第二日

8:30前泊した民宿を出る。尾根道の「花嫁街道」沿いにあるシイの大木に抱え込んでいる経文石、じがい水、駒返しと歩く。本来の「花嫁街道」は駒返しか ら五十蔵口へと下っているはずであるが、現代の散策用「花嫁街道」は烏場山までとなっている。途中カヤ場という見晴らしのよいところにでる。カヤ場からは いままで、 烏場山を見ながら大きくC字状に迂回して歩いてきた尾根筋が見える。

烏場山直前の第三展望台からは北側の眺望が開ける。眼下には五十蔵の集落。中央奥の台形の山が2007年に登った伊予ヶ岳(337m) であることを確認。私はこの左側の45度以上の斜面を登るのを放棄したわけだ。次の日登った ツイン・ピークの富山(とみさん350mは伊予ヶ岳の左 3cmのところにかすかになだらかなおでこを出している。 左手のピークはチョットだけ顔をだしている。晴天ならこの間に富士山が見えるはず。丁度手前のツイン・ピークの御殿山(363m)と一直線上にある。

第三展望台から眼下に五十蔵の集落を望む

烏場山山頂で寒風にさらされながら、カップラーメン、コーンビーフ、ケーキの昼食をとる。

山頂にて

復路は「花婿コース」を辿る。旧烏場展望台からは烏場山が眼前に見える。烏場山と旧烏場展望台をつなぐ尾根が低いがしかと見える。以後延々と尾根歩きをし て少しずつ下る。金比羅山からは太平洋の荒波が和田浦に押し寄せているのが見える。最後は黒滝に下る。

黒滝

花園広場から 再度谷を越えた東側の大塚山(175m)につらなる尾根に登り、谷を抱湖園に下る。寒桜が咲いていたがうらぶれたレコードの音が耳障りで素通り。和田浦駅 に至った。和田浦駅14:38発

折角双眼鏡を持っていったが、朝のうちシロハラなどがいたようだが、しんがりを歩いていると観察している時間もなく、結局無駄な荷物となった。

岩崎元郎を知らない山登りは「もぐり」といわれるそうだが、花嫁街道・烏場山はいままで知らなかった。国土地理院の地図にも記載はない。これも一種の「塩 の道」で渓谷の多い谷など歩けない房総では尾根道が地元の人の往来には欠かせなかった時代のものだろう。帝国陸軍の測量隊のような官道にしか興味のない連 中は生活臭のあるものには興味を持たず地元からの聞き取りもせず、記載もしなかったのだろう。

February 19, 2010

Rev. November 15, 2017


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