信州

根子岳・四阿山(あずまやさん)*

wakwak山歩会は2009年9月16-17日、根子岳(2,207m)と四阿山(2,354m)に登った。善光寺平から毎日、菅平と根子岳を仰ぎ見て育った者にとっては一度登らねばならない山であった。

社会人となった駆け出しのころ、会社の同期の長浜と一緒に菅平で山岳スキーにチャレンジし た。スキーをブッシュに引っ掛けて転倒し捻挫したのはこのときだ。働き盛りは山に出かける暇も無く、引退後家族と一緒に軽井沢の義姉の別荘滞在中に根子岳の避難小屋まで登ったこと位が過去の経験である。

71才になってようやく両方の山頂に立つことができた。

四阿山は深田久弥が菅平の民宿を出発し、シールをつけた山岳スキーで登り、雲上の白銀の世界を満喫して百名山に選んだ山である。

久弥によれば山の名は日本武尊の東征からの帰り、鳥居峠で東を振り返り、走水で犠牲になった后、弟橘姫(おとたちばなひめ)を偲んで「吾妻はや」と歎かれたことに発するという。同じ神話に由来する吾妻山は日本中に沢山あるが、ここが一番雄大で 神話にふさわしいと感ずる。麓の嬬恋村の名も同じ故事からきているらしい。

地図を見ると根子岳ー四阿山ー浦倉山と円形に続く尾根は直径約3kmもある大きな火口の縁にあたるように見える。実際そのとおりで約75万年前から20万年前に大きな水蒸気爆発によってこの火口ができ、その後侵食によって深い谷となったものだという。子供の頃、父に連れられてでかけた米子瀑布はこの火口に降った雨が流れ出す道筋となっている。米子の硫黄鉱山も火山の恵みであったのだ。


大きな地図で見る

火口の外側はとてもなだらかな山裾をしているのは溶岩の粘性が低く流れやすい性質だったためという。

今回の登山はwakwak山歩会としては100回目である。そのうち百名山は50近いはずだ。

 

第一日

10:00橋本駅に集合し、マーの車で出発。圏央道・関越道・上信越道⇒上田菅平IC⇒国道144号・406号⇒菅平峰の原高原「あすなろペンションPocket」14:00着(Hotel Serial No.469)気温は寒いくらいだ。ウィンドブレーカーを着る。朝6度になるという。

時間があるので宿で菅平牧場入場料ひとり200円のサービス券をもらい下見にでかける。菅平牧場は成功しているようだ。放牧された牛が沢山草をはんでいる。牧場の下の林の中は別荘地である。

菅平牧場下見の後は菅平湿原を散策する。菅平湿原は今から数万年前(第四紀更新世の後期)に噴火した四阿山の溶岩が谷をせき止めて出来た湖であった。やがてせき止め口が侵食されて湖の水位が下がり、現在の湿原となった。その湖底にヨシを中心とした泥炭層が1mほどつもり、乾燥してハンノキの群落が増え、現在はヨシとオオカサスゲの優占する低層湿原となっている。

入口に菅平湿原自然館というやけに立派な建物がある。箱物行政の典型だが、資金が絶たれて老朽化している。どううも真田町の町長は積極開発型であったらしい。上田市に合併されて救済されたのだろう。入場料が必要のためパス。

夕食までは持ち込みの日本酒で歓談。この民宿は無線LANをオープンにしているため、アンドロイド携帯でメールなどをチェック。民宿では完全洋食のため、ボジョレ・ヌボをいただく。

 

第二日

4:30起床、5:00朝食、5:30発⇒菅平牧場駐車場着(1,600m)、根子岳登山口6:10発。マーさんは足の筋肉の炎症が治らないので登山せずバードウォッチングで過ごすという。

根子岳中腹から朝日の当たる菅平牧場とその向こうの北アルプスを望む

別荘の老夫婦は毎日菅平牧場駐車場まで歩いて登り、運動方々北アルプスの景観を楽しむのだという。熊が別荘地に出没するので注意してと言われる。

景色を楽しみながら登る。花の季節は過ぎたが、それでもマツムシソウ、ウスユキソウなどが見える。8:40根子岳着。記念撮影。妙高山 、火打山、焼岳、高妻山がスカイラインを形成し、黒姫、飯綱、戸隠は手前に一段低く見える。北アルプス は白馬から穂高まで全て見える。特に白馬三山は岩肌が白く明るく見える。中央アルプスは木曽駒ケ岳、南アルプスは北岳が見えた。その手前には八ヶ岳連峰がある。

根子岳山頂にて

四阿山への縦走にかかる。優しい山容の根子岳だが縦走路にそって巨岩が鎮座し、その脇をすり抜けて鞍部に下る。鞍部から振り返る根子岳の姿は心和む。宿の主人から鞍部からのエスケープルートは危険のため使わないようにとのことだ。

鞍部から振り返る根子岳

鞍部から 林間の急斜面を登りなおす。朝露でズボンはぐっしょりとなる。四阿山の肩まで登りなおし、振り返ると根子岳から根子岳北肩、そして米子の不動滝に向かって落ち込む火口壁が良く見えた。

四阿山の肩から根子岳、根子岳北肩、米子の不動滝を望む

予定通り11:00四阿山着。正面には浅間山があるはずであるが雲の中だ。嬬恋村は広大な高原となったいる。記念撮影して昼食。NTTのフォーマは山頂でも十分な強度あり。

四阿山山頂にて

11:40下山開始。間違って鳥居峠への下山道に入ったことをガーミンのGPSで気がつき引き返す。しかしガーミンのGPS内蔵の国土地理院の地図の菅平への下山ルートへの分岐点が不正確で大分迷う。後で分かったが根子岳方面からくると菅平への下山ルートへの分岐点の案内が裏側にしか書いてなく、分岐点だとは気がつかなかったのだと分かる。真田町は箱物行政に血祭りをあげ、肝心の案内板には気がまわっていないようだ。妻恋村の方が山道の整備はしっかりしている。

広い尾根を下ってゆくとやがて中四阿が見え始める。長大な尾根がそちらに向かってくの字に雁行している。中四阿は上面が岩場になって裸地となっている。

中四阿

中四阿に向かって登り直しているとき、振り返ると根子岳と四阿山が鞍部を挟んで並んでカメラに収まることに気が着く。ここで2枚撮影し、合成したのが下の写真である。

中四阿から根子岳と四阿山を振り返る 2枚合成

さらに下ると1,917mの三角点を通る。深田久弥が菅平の民宿を出発し、シールをつけたスキーで四阿山に登ったとき、雲海の上にでた地点だ。

林間を更に下っていると前を行くクリさんが突然フリーズしたように立ち止まり動かなくなる。どうしたのかと聞くと小さな声で「熊がいる」という。よく見えないが更に先を行くコンチャンのそばらしい。そこで危険を知らせようと大きな声で「くまだ!」と叫ぶ。この声に驚いた熊君が飛び上がった。よくみるとカモシカである。首の下が白かったから、見誤ったらしい。

1,650mの等高線にそってトラバースし、大明神沢を渡る。大明神沢を流れる水はちょうど今日歩いた二つの山の間に降った雨を集めた流れだ。

登りなおせば牧場の縁にでる。フェンスに沿って大きく牧場を迂回しないと登山口にはたどり着けない。羊の放牧なら英国のようにパブリック・フットパスを設けられるのだろうが、牛や馬の放牧地だから危険で立ち入りできない。大明神沢の窪地に隠れるように巨大な畜舎がある。牛馬達はここで冬を越すのだろうか。

登山口14:40着。マーさんは車のなかで昼寝をして待っていてくれた。感謝!!

志賀高原東館山上空7,600mの地点から南をのぞんだ3D図を作成してみた。四阿山がこの界隈の最高峰であることがわかる。だから百名山にも指定されているのだろう。

東館山上空7,600m上空より南方向 暗緑色ルート

帰路、真田温泉「ふれあいさなだ館」(Spa Serial No.257)で汗をながす。マーさんには申し訳ないと思いつつも助手席で心地よい眠りに落ちる。

登山中チラッとみた浅間山の噴煙は線香のようだったが、軽井沢に近づくと、巨大な噴煙を噴き上げていた。

国道144号・上信越道経由橋本20:00着。

September 20, 2009

Rev. November 14, 2010


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