成川美術館・玉村豊男Life Art Museum・箱根ラリック美術館

2016年5月5日グリーンウッド夫妻は久しぶり(正確には7年ぶり)に箱根の美術館めぐりにでかけた。箱根湯本駅から 商店街に抜ける歩道橋が完成していた。霧の中、元箱根に向かう途中、小涌谷に巨大な岡田美術館なるものができていた。箱根美術館やMOA美術館(静岡県熱 海市)を手がけた故岡田茂吉氏(世界救世教教祖)を思い浮かべ、どうせ陶器だろうと敬遠したが、後で調べると本美術館のオーナーは岡田和生氏だという。パ チンコ・スロット機器製造を手がけるユニバーサルエンターテインメント(旧アルゼ)の会長として産業界にその名が轟いているひとだそうである。米「フォー ブス」誌が発表した2011年の個人資産ランキングでは、21億ドル(約1743億円)と推計され、日本人14位となった。


成川美術館

結局、成川美術館を再々訪問。(Museum Serial No.130)1989年 夏に初めて訪問してから、これが3度目になる。美術館の展望室から見る芦ノ湖と富士山は見事だが、今回は霧のため桟橋のライト以外何も見えず。2009年 11月15日撮影の写真を再掲する。

成川美術館ホー ルからの景観 2009年11月15日撮影

成川美術館のオーナーで、館長でもある成川實氏は新報国製鉄の大株主のようだ。美術館は4000点所蔵するそうだが、牧進展がよかった。特に「枯寒野」。美術館内の喫茶室「季節風」でアールグレイのミルクティーをいただく。


玉村豊男Life Art Museum

坂を下りて赤鳥居近くの玉村豊男Life Art Museumに向かう。ここで絵葉書を買う。「海と礼拝堂」という水彩画で模写の練習には最適と感じたためである。同じコンプレックスにあるイタリアンレ ストラン ラ・テラッツァでピツァ、スープ、スペアリブの昼食。(Restaurant Serial No.352


箱根ラリック美術館

ここはたまたま前を通過したとき、いままで訪問していないと気が付き飛び込んだ。アールデコ様式のガラス工芸家ルネ・ラリックの収集品美術館。オーナーは簱興行株式会社のオーナーの簱章洋氏。かつてボーリング場経営で財を成した方。今は 銀座のシネスイッチ銀座のオーナー。ビンテージカーのコレクション(T型フォードなど数台が美術館にも飾られている)を通じて、カートップにラリックのガ ラス工芸が使われていることからラリックに魅せられなんと1500アイテムものラリック作品を集めたという。かなりの資金を投下して展示してある。

家に帰ってから気が付いたのだが、ルネ・ラリックが内装を手がけたプルマン社の「オ リエント・エクスプレス」が一両丸ごと展示してあり、当日予約すればお茶のサービス付きで見学できたらしい。(Museum Serial No.254)


箱根ラリックのカフェ・レストランと「オリエント・エクスプレス」の展示場

地元の観光案内小冊子から「箱根吟遊」という20室すべてに露天風呂があるホテルが箱根登山鉄道の宮ノ下駅近くにできたことを知った。国 道1号のエクシブ箱根離宮より少し湯本よりの出光GS前より入るらしいがジープからは見落とした。早川を見下ろす急な崖に建てた建物のすべての部屋が早川の対岸の外輪山の無人地域と対面しているため、全室露天風呂が可能となったようだ。日本一予約のとれない宿と言われる。

「箱 根吟遊」の前身は、「武蔵野観光旅館 本館」。スタートは、昭和26年(1951)。創業者・太田七蔵氏は、戦前、東京・新宿で料亭を営んでいた。その後 戦争が始まり、疎開先がここ箱根・宮ノ下だった。七蔵氏は、宮ノ下の土地を購入し、旅館経営に乗り出した。住んでいた緑豊かな当時の東京・武蔵野に似てい た事から、屋号に武蔵野を入れたという。  時代は流れ、平成14年(2002)11月に、現在の「箱根吟遊」に建て替えた。

July 6, 2016


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