奈良・京都

グリーンウッド夫妻は2004年4月の花見を奈良・京都で行なった。グリーンウッド氏にとって奈良は高校の修学旅行以降初めてであるため、47年ぶりの再訪ということになる。

第一日

スペインでの列車テロの後で気がかりではあったが、新幹線ででかけた。JR東海ツーアズの2泊3日の列車・ホテル指定の自由行動パッケージ切符をインター ネットで買っての格安旅行である。歩くつもりでバックパッカースタイルで出発。「のぞみ」で2時間、京都駅に着くとすぐ近鉄で奈良にむかう。西大寺駅を出 ると近鉄の電車は旧平城京跡の広場を斜めに通過する。第一次大極殿が復元工事中であった。

ホテルフジタ奈良にチェックイン。(Hotel Serial No.275) 荷物をおいて興福寺、東大寺方面に夕方の散策にでかける。猿沢池は記憶より小さい。興福寺の五重塔も記憶のような迫力はない。

興福寺の五重塔

後で知ったが、ここに西国霊場の第9番札所南円堂がある。東大寺の南大門はさすがに大きい。東大寺本堂は午後5時で閉門で入れなかった。

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東大寺 南大門

その足で二月堂に向かう。このテラスから東大寺本堂の屋根越しに生駒の山に沈む夕日は価値あるものであった。若草山、春日大社と散策し暗くなったなかをホテルに返る。

奈良名物「柿の葉ずし」を試食する。一種の「馴れずし」である。昔、熊野灘でとれた鯖は浜塩をたっぷり腹につめて伯母峰 峠越えで行商人の背負い籠で2日かけて奈良地方に運び込まれた。これではしょっぱくて食べられない。薄身にそいでおにぎりにのせ、柿の葉でつつみ、3日発 酵させて食べたのが始まり。タンニンが保存料の役目をした。いまでは塩も少なめ、魚の鮮度も高く、発酵は1日であるそうだ。

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二月堂より大仏殿に沈む夕日を愛でる

第二日

近鉄で法隆寺に向かう。西大寺で乗換え、南下。途中、群山城跡が電車から見えた。「つつい」駅で下車、バスに乗り換え、法隆寺着。南大門から入る。まだ朝早く、観光客もなく静かである。奈良の寺はどこもかしこもユネスコの世界文化遺産の指定となっている。

最近、川端俊一郎氏が法隆寺は九州福岡市の難波池にあった難波天王寺が移設されたとの仮説 を出 しておられる。また造った聖徳という人物も、後に大和の聖徳太子の事として盗用された、日出ずる処の天子の多利思北孤、あるいはその息子の利歌弥多弗利のことではないかとのことだ。(倭京 二年難波天王寺聖徳造)

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法隆寺西院 五重塔

西院の東北の隅に大宝蔵院が新築されて博物館になっているところが47年間の変化であった。玉虫厨子や百済観音像が展示 されているが、観音像の本物は貸し出され、模造品が展示されていた。西院から東大門へ到る道には桜が満開である。東院の夢殿のある中庭にも桜の木が1本、 満開となっていた。

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法隆寺東院 夢殿

東院に隣接する旧斑鳩御所の中宮寺を訪れたのち再度バスで近鉄。「つつい」駅に引き返す。「にしのきょう」駅で下車。薬師寺は東塔以外はすべて新築である。ここから徒歩ですぐ北にある唐招堤寺に向かう。

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薬師寺 東塔

天武天皇が唐の鑑真和尚をまねき、759年に創立された唐招堤寺の金堂は平成の大修理中であった。 いまでこそ奈良の郊外にあるが当時は首都の中心街区であった。金堂はすべて解体され、ちょうど基盤が露出していた。2009/11/1修理完成。創建当時は極彩色に塗られていた証拠が多数見つかった。780年代伐採の木材が見つかっている。鴟尾(しび)は鎌倉時代のものだが割れていたので新たに焼いた という。この寺も講堂裏は桜の名所で花一杯であった。東側にある天平校倉造りの暗褐色の経蔵に桜が生えてみごとだった。唐招堤寺のあとは第11代垂仁天皇陵まで田舎道を散策、「あまがつじ」駅から近鉄で京都に移動した。

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唐招堤寺の経蔵

2020/1/30に鑑 真が最後にみた風景という古いNHKの番組をみた。鑑真の5回目の渡日の折り、14日間の漂流の末、遥か南方の海南島へ漂着した。鑑真は当地の大雲寺に1 年滞留し、海南島に数々の医薬の知識を伝えた。751年、鑑真は揚州に戻るため海南島を離れた。この揚州までの帰上の間、鑑真は南方の気候や激しい疲労な どにより、両眼を失明してしまう。この桂林を失明まえに見たとしてその架空のシーンを映像に見せててくれ。753年に遣唐大使の藤原清河らが鑑真のもとに 訪れ渡日を約す。

京都駅前の新・都ホテルにチェックイン。(Hotel Serial No.276)地下鉄で「ひがしやま」駅に移動。平安神宮の神苑の紅枝垂桜見物にでかける。表の丹色ゴテゴテの派手な雰囲気とはうって変わり、シットリとした庭園だ。ライトアップする特別コンサートが準備中のようであった。夕食は四条大橋と鴨川が見える先斗町(ぽんとちょう)の「いづもや」でとる。(Restaurant Serial No.233) 四条河原町は驚く程の人ごみであった。

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平安神宮 神苑

第三日

豊臣秀吉の1598年の「醍醐の花見」の故事にあやかって醍醐寺の花見とシャレ込んだ。地下鉄東西線の終点の「だいご」 駅を出ると、近代的な住宅コンプレックスがの中心である。この住宅地の中を歩けばやがて醍醐寺に到着する。秀吉が基本設計したという三宝院の庭園を参観す る。秀吉の足跡はほとんど戦火で焼け落ちているがここだけは、オリジナルが残っている。この唐門は菊と桐を意匠したもので伏見城から移築されたものとい う。

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醍醐寺 三宝院唐門

ここの五重塔は京都で最古の木造建築とか、秀頼寄進といわれる金堂は少し荒れ果て哀れをもよおした。 秀吉の花見跡を訪れようと五重塔を過ぎ、女人堂から山道を中ほどまでのぼった。しかし1時間も山を登らなければならないと聞き断念。あとで知ったが醍醐山の上には11番 札所の観音堂があったのだ。この観音堂は1935年に焼失して1968年に再建されたものだが、2008年8月落雷のため再度准胝(じゅんてい)観音像とともに焼失した。

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醍醐寺 仁王門

地下鉄でとって返し、新幹線の時間まで、二条城を訪れる。二の丸御殿はパスして内濠に囲まれた本丸御殿に向かう。

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二条城 二の丸御殿の唐門

天主台跡に登ったのち、北側にある清流園を散策して帰る。ここのヤエベニシダレ桜も満開であった。二条城でもこの裏庭園はやさしい美しさに満ちている。

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二条城 清流園の香雲亭

京都の地名は読み方が独特でおもしろい。烏丸がカラスマ、御稜がミササギ、椥辻がナギツジである。

April 25, 2004

Rev. January 31, 2020


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