天明の大噴火

大量の火山灰、軽石などが成層圏までふきあげられた天明の噴火では1783年8月4日に吾妻(あがつま)火砕流が発生、翌日の大爆発によって噴出した岩塊が岩屑流(がんせつりゅう)となって北麓を流下し、地表の土砂や樹木をまきこんで鎌原村を直撃した。さらに土砂は吾妻川をせきとめ、一時的にダム状態になったが、これが決壊して洪水が発生した。被害は利根川流域の群馬県伊勢崎町にまでおよび約 1,200 人が死亡、中山道は寸断され、軽井沢宿は全戸が焼失したといわれる。噴火の末期には鬼押出溶岩流が流出した。成層圏に達した噴出物は長期にわたって滞留し、日光をさえぎったためいちじるしい日照不足となり、これが天明の大飢饉の一因になったという。

じつは同じ1783年にはアイスランドのラキ火山が大噴火をしており、これによる天候不順で1789年のフランス革命となったとされている。浅間山とラキ火山が相互に影響しあったと考えるのが妥当だろう。ちなみに浅間は1108年、ラキ火山は934年にも噴火している。

インドネシアのピナトウボ火山は1991年に噴火した。

2001/11/8

Rev. April 19, 2010


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