善光寺縁起

インドの月蓋(げつがい)長者の娘如是(にょぜ)姫が病気になったとき阿弥陀様を拝んだところ病気がなおった。感動した長者が黄金で一光三尊の阿弥陀如来像を作った。これが百済の聖明王に渡り、欽明天皇に送られた。のち排佛派の物部氏と仏教派の蘇我氏との間の戦により如来像は難波(なには)の池に捨てられた。信濃の本田善光(よしみつ)がこれを拾い、信濃に持ち帰り自宅に安置した。これが善光寺のはじまりである。長野駅前に如是姫の銅像がある。

戦国時代、川中島の戦の時、武田により甲府に移るが、織田により岐阜に移る。信長が殺されると一時甲府に戻るが、秀吉が奈良大仏殿の本尊とする。しかし秀吉は死の間際に信濃に送り返し、その後流転することなく今日に伝えられている。

本尊は秘佛であるが、前立本尊は7年に一度御開帳となる。


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