MIさま

講義プロジェクトライフサイクル受講に関する質問への御回答

リポートは正月に受け取ったのに怠けていて締め切りがせまり、ようやく読みはじめました。皆様よく聞いていただいき、よく理解しておられるようで感謝してます。

さて「日本の高度経済成長期のプロジェクトはどのように行っていたか」との御質問ですが、戦後は米国に成功した製造業が実在していたのでそれをコピーする型でプロジェクトが進行しました。成功モデルが証明済みのものだったためリスクは無く、プロジェクト運営に多少の齟齬があってもほとんど全て成功いたしました。失敗するということはよほどの失策がたった時だけです。プロジェクト成功後はオペレーション型の運営に安住して来て今日に至っております。

しかし現在の日本がお手本にする製造業は世界になく、米国に学ぶものはIT産業、IT技術を前提とする新流通システム、新金融システム以外は自ら創造するしかない事態に至っております。米国型のIT産業、新金融システム構築をコピーするだけでも現在発展中の技術なわけですからリスクは高く、更に新しいことの創造に挑戦するとなれば、当然リスクはもっと高くなります。失敗する確率の方が高いのです。しかしとにかくチャレンジしてもしうまく行かないなら傷か大きくならないうちに撤退しよう。失敗のコストはステークホルダーの一人である資金的提供者がとり、チャレンジした人にはその人にルール違反がないかぎり再挑戦の機会を与えるという考え方がPM手法の前提になっております。

経営者がプロジェクト挑戦者の提案採択の最終決定権を持つのは最終責任を取る資金的提供者の代理人としての役割であります。日本の資金的提供者のうち証券市場はともかく銀行はリスクは土地担保でヘッジするという方式に長年なれ親しみ(結局それも虚構だったと思い知ったわけですが)自らリスクを取ることになれておりませんので、新プロジェクトには資金が出てまいりません。

プロジェクト提案者側についていえば、高度成長期の成功体験が強く、途中撤退者は無能者と同等との烙印を押されかねないため、リスクにへの挑戦者が少なくなってしまったのだと思います。日本のようなオペレーション型社会ではプロジェクト中断となれば会社の中でその部署は解散となるし、担当者は社内で別のプロジェクトを担当する部署に異動しなければならないと深刻に悩むという社会ドラマが展開されます。

プロジェクト型社会では企業内組織の再編成は日常茶飯事どころか、プロジェクト毎に会社を換えるのが日常となります。もちろん人間ですし、家族もおりますので悩み事も同じですが、日本のように失格者という烙印を押されるどころか、できる奴という評価が得られるだけ、(収入も増す)前向きの心構えが持てる社会です。私の米国人の友人は40年間プロジェクトに関わり63歳になって「燃え尽きた、日本がうらやましい」などといって老後を楽しんでおりますが、ここら辺に米国と日本の差の原因があるのではと思っております。

以上