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エドワード・S・モースのこと

1877年(明治10年)6月18日米国の生物学者エドワード・S・モースが東大の教授として横浜に到着し、19日に上京するときに大森貝塚を発見した。のち発掘調査し、縄文土器を発見。cord markと命名した。縄文の呼称の由来である。

来日の目的の一つ、腕足類のシャミセンガイの採取のため、江ノ島に7月17日から8月28日まで滞在し、網小屋を借りて臨海実験所を開設した。のち1917年に当時の日記をもとにJapan Day by Dayを出版。

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日記の表紙

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モースが借りて実験所とした網小屋

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実験場室内

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日記原本中の江ノ島略図

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実験所の窓からみた鳥居前の船着場 Fig. 150

関東大震災で地盤が隆起したため地形が変わり、モースの借りた網小屋がどこにあったかわからなくなってしまった。昔より諸説あったが、モース研究会会員の木下明氏が諸資料を比較検討して現在の恵比寿屋旅館の海側の道路上にあったと推定した。モースの日記原本Fig.150と恵比寿屋旅館が保管していた古写真とが一致し、決め手となった。古写真の矢印の小屋がそれである。Fig.150の船着き場の前にある建物は波に流されそうになって補修中の倉とモースが書いているものである。これも写真に写っている。モースは岩本楼を宿舎にしていたことが、日記中の江ノ島略図に書いてある。

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江ノ島の恵比寿屋旅館に保管されていた古写真

モース・コレクションはセーラム市ピーボディー・エセックス博物館にある。

2002/5/1江ノ島沿線新聞記事で改訂


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