パソコン遍歴

グリーンウッド氏は職業上、IBM360以前のメーンフレームでFortranを使ったプログラミングをしていた経験があるにもかかわらず、NECが個人向けにパソコンを売り出しても買う気になれなかった。当時のパソコンのオペレーティングシステムのDOSがメーンフレームと同じくコマンドで動かす仕組みであったためである。メーンフレームでのコマンドの非人間性が大嫌いであった。気が早く、そそっかしい性格のため、一発で動いたためしがない。

手書きの文章を秘書に頼んでワープロに入力しても、何回も修正したくなる。考えながら自分で直接入力したいが、機械に歩み寄って呪文を唱える屈辱感は拭えなかったのである。ところが1986年のある日、書店で 日本語ワープロソフト、EGワードのマニュアルを立ち読みしてすっかりとりこになってしまった。あとでグラフィカル・ユーザー・インターフェースと知ることになる。デスクトップ・メタファーというんだそうであるが、机の上で作業する感覚で使えるのが気に入った。コマンドなど間違わないようにキーインする必要ない。大体アバウトなアナログ人間にはこれに限ると直感したのだ。

これが動くのはマッキントッシという米国製のパソコンだけだ。早速秋葉原のイケショップに出かけたが、当時の72万円は清水の舞台から飛び降りるような決心が必要であった。EGワードはマッキントッシ用に日本のエルゴソフト社が開発したワープロソフトであった。EGワードとともにマックペイントとかマックドローなどのマッキントッシ専用お絵かきソフトも同時に買ったと思う。当時マッキントッシでしか使うことができなかったハイパーカード、ファイルメーカーも愛用した。ファイルメーカというデータベースソフトはアップル社が育てたすぐれたソフトだ。グリーンウッド氏の個人ファイルは今でも全てこれで管理している。ハイパーカードの思想はインターネットのHTML言語に引き継がれている。そのうちにマイクロソフトが表計算ソフトのエクセルを出してくれたので愛用する。エクセルはマッキントッシ向けに開発され後にウインドウズに移植されたという歴史を持っている。

1990年代に入ってマイクロソフト社がマッキントッシと同じグラフィカル・ユーザー・インターフェースを備えたウインドウズ3を売り出してからもマッキントッシを捨てる気にはならなかった。マイクロソフト社はEGワードにぶつけてMSワードを出すが、これも乗り換える気にはならなかった。しかしマイクロソフト社がウインドウズ95を出し、世の中の体勢がどっとウィンドウズに傾いてからデータの互換性ということでようやくウインドウズ95が動く、マシンに切り替えたのである。

MSオフィスとファイルメーカーはマッキントッシとウインドウズで動く環境を作って、重要個人ファイルはマッキントッシからウインドウズに変換移植した。ハイパーカードだけはウインドウズで動かないのでファイルメーカーや、リンクのあるデータベースはhtml文書に変換した。

以上のような、ソフト遍歴の結果、1986年から1998年の12年間はマック系の機材とソフトを使い、1998年から現在の2003年までの5年間はウインドウズ系の機材とソフトを使った。過去17年間の周辺機器を含めた累積投資金額は500万円を越えた。そのうちマッキントッシ系が66%である。マッキントッシ系の年間投資額は28万円。この間、高い資金負担に耐えるべく、週末の鎌倉の混雑を口実に自家用車を断念して家族には迷惑をかけた。

ウインドウズ系の年間投資額はまだ一そろい買い揃えている段階なので多く、34万円である。そのうち落ち着くであろう。ビジネスから引退したのでオーディオ・ビデオ系に傾斜投資し、Windows系の41%はマルチメディア周辺機器を含むソニー製である。メモリースティックでのデータ互換の利便性で統一するメリットがでたのである。

スキャナーはまだ当時は国産の良いものがなく、ヒューレットパッカード社の業務用の高価なものを買ったのでいまだに 内蔵バッテリーの上がってしまったマッキントッシ環境でこれを使っている。

2003年2月20日


トップページへ