言語録

シリアル番号 日付

1583

 2015/7/27


名言 (せい)等、もとより生還を期せず
言った人、出典 江橋 慎四郎(えばし しんしろう)が1943年(昭和18年)10月21日に開催された神宮外苑での学徒出陣壮行会で読んだ、答辞の一節

在学学徒諸兄、また遠からずして生等に続き出陣の上は、屍を乗り越え乗り越え、邁往敢闘、以て大東亜戦争を完遂し・・・と続く
引用した人、他 TV東京の池上彰スペシャル
江橋 慎四郎は神奈川県鎌倉市生まれ。旧制湘南中学(現在の神奈川県立湘南高等学校)から、旧制二高を経て東京帝国大学文学部に入学した。当時の大学生は徴兵が猶予されていたが、兵力不足を補うため、江橋ら文系の学生の学徒出陣が決定した。
戦後、文部省体育局勤務などをへて、東京大学教授。その後鹿児島大学教授や中京大学教授を歴任し定年後は東京大学名誉教授となる。彼は、国立大学の学長と しても異例な高位の叙勲を受けた。その国立大学こそ、鹿屋体育大学であり、特攻隊の出撃基地であった鹿屋海軍航空隊があった場所である。今を去る40年ほ ど前、東大全共闘がこの教授を名指しで非難、確か、学生大衆団交に引き摺りだされ、指弾されていた様な記憶がある人がいる。教授引き摺り廻しは、記憶違い の可能性あり、断言できないが、全共闘がこの先生を非難したのは間違いないという。
江橋 慎四郎は裏取引があったのではと疑った記者の質問に「答辞は我が身にとっては名誉なこと。だが、戦没者のことを思えば何も言えない」と、戦後ずっと黙していた心の内を語った。壮行会から満70年となる 2013年には毎日新聞に、「僕だって生き残ろうとしたわけじゃない。でも『生還を期せず』なんて言いながら死ななかった人間は、黙り込む以外、な いじゃないか」と述べた。
ケネディーの就任演説もヒトラーの演説は言っている言葉はほぼ同じ。そこに隠された真の意味は分かりにくい。江橋 慎四郎の言葉も結果からみればむなしい。
要は言葉に乗せらえてはいけないということ。しっかりと考える癖を身につけること。

1943年(昭和18年)11月20日、母校の農林省水産講習所の出陣学徒約200余名の代表として講堂で開催された「出陣学徒壮行式」で奉書紙に墨で毛 筆によって書かれた答辞を読んだ真道 重明氏は「文章は私が書いた物では無い」という。「我等」(= 我ら)、が「生等」になっているからだ。「生等」(せいら)は軍隊の学校で候補生などが「我ら」の意味に 文書で使った言葉ではないかと思う。間違いなく大本営の報道官がラジオなどで発表していた調子の文句で、当時よく聞いた軍部の慣用語が頻出した文章だ。明 らかに配属将校か誰かは分からないがが、職業軍人が起草し、自ら書いたか、誰かに書かせたものだろう。既に文章は作成され、奉書紙の和紙の上に書かれて居 た訳で「これに署名して、式場で読め!」という段取りだったという。江橋 慎四郎の場合も同様だったと察せられる。

Rev. July 28, 2015


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