シリアル番号 | 日付 |
1549 |
2014/6/12 |
名言 | 山雨(さんう)来らんと欲して 風 楼に密つ 行人 問うことなかれ 当年のこと
一上高城万里愁
蒹葭楊柳以汀洲 渓雲初起日没閣 山雨欲来風満楼 鳥下緑撫秦苑夕 蝉鳴黄葉漢宮秋 行人莫問当年事 故国東来渭水流 一たび高城に上れば 万里愁う 蒹葭楊柳(けんかようりゅう) 汀洲(ていしゅう)に似たり 渓雲(けいうん) 初めて起こり 日(ひ)閣に沈む 山雨来たらんと欲して 風楼に満つ 鳥は緑撫に下る 秦苑(しんえん)の夕(ゆうべ) 蝉は黄葉に鳴く 漢宮の秋 行人(こうじん)問う莫れ(なかれ) 当年の事 故国東来して 渭水(いすい)流る |
言った人、出典 | 晩唐の許渾(きょこん)の七言絶句「咸陽城西楼晩眺」の第四句 |
引用した人、他 | 朝日 天声人語 当年とは秦や漢が華やかだったじだいのこと わびしい秋の夕暮れの風景を目にして生じた憂いを、今は一場の夢と化した秦漢帝国の栄華の跡に重ね合わせている。だが、詩人許渾の胸には大唐帝国の滅びの予感こそが確かなものとして去来していたに違いない。 日本には「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる”の名歌 山口氏は杜甫の春望を今の自民党のエネルギー政策の行く末の結末として上げた
国敗れて山河あり
城春にして草木深し |