言語録

シリアル番号 日付

1524

 2013/9/27


名言 (なんじ)の俸(ほう) 爾の録は
民の膏(こう) 民の脂なり
下民は虐げ易きも 上天は欺き難し

爾俸爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺
じほうじろく みんこうみんし げみんえきぎゃく じょうてんなんぎ
言った人、出典 原典は中国、後蜀の君主、猛昶(もうちょう、919−956)が地方長官たちに職務の基本として伝えた「戒諭辞」にあるというがすでに失われ、二本松びしか碑として残っていない
引用した人、他 後藤正晴氏が内務省で先輩から教わったという吏道を天声人語が紹介

二本松城主、丹羽 高寛(にわ たかひろ)は老臣の丹羽忠亮と共に綱紀粛正と文武の奨励に取り組み、儒者の桂山彩厳の推挙により、岩井田昨非(さくひ)を召抱える。
延享2年(1745年)に病気のため隠居し、長男・高庸に家督を譲った。
寛延2年(1749年)、昨非の献策により、二本松城前に藩士たちへの戒めのため「戒石銘碑」を彫らせた。
 

 


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