メモ

シリアル番号 表題 日付

878

セミョーノフ

2004/10/15

Gregori Michaeilovic Semyonov1890年外蒙古、オノン川河畔にロシア人を父、モンゴル人を母に生まれた。父もトランスバイカルコサックで、コサック騎兵として第1次大戦に従軍した。休戦時には大尉に昇格していた。この間、聖ゲオルギー勲章を受賞している。

ロシア革命時、極東共和国の旗の下、トランスバイカルコサックを率いてレーニンのソ連共産党と最後まで徹底的に戦った。日本も英国との同盟によりロシア出兵。高橋蔵相は朝鮮国の紙幣でセミョーノフ金塊の一部を買っている。1921年、白軍の最終的敗北を受け、鳳山丸という汽船でウラジオを脱出、上海に同志とともに向かった。1922年3月アメリカに向かった。セミョーノフは女性関係にだらしがなく、アメリカのニューヨークに着いたとき、日本に置き去りにした妻ゾレータをさしおいて、新夫人エレーナを同伴していた。金銭問題などの複雑事情もあったが、セミョーノフはアメリカ市民権を獲得した。

満州事変勃発時、大連に渡り、そこの白系ロシア人社会で隠然たる地位を築いた。1945年8月ソ連軍は満州に来寇、大連にいたセミョーノフを捕縛、モスクワに拉致した。極東軍事裁判にセミョーノフの上申書が提出されたが、拷問を受けた節が窺える。1946年8月モスクワで国家財産略取のかどで、絞首刑を執行された。最後の言葉は「私はアタマン・セミョーノフだ」と言うもので、コサック一代の英雄に相応しいものだった。

ゾレータとエレーナ両夫人は1960年代まで存命しており、その子孫も日本で生活している。


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