メモ

シリアル番号 表題 日付

840

三菱自動車歴代の社長

2004/08/04

創立者:三菱重工社長、牧野与一、東京帝大経済学部卒、三菱商事入社、三菱重工移籍、名古屋航空機製作所、クライスラーと提携して三菱自動車設立

初代社長:1970年、佐藤勇二、牧野のイエスマン

2代目社長:1973年、久保富夫、新司偵(高性能偵察機)の主任設計者、技術屋らしい反骨精神で牧野には疎まれていたが、技術陣の圧倒的支持があった。ミラージュ発売。三菱自動車を確立した人

3代目社長:1979年、曽根嘉年(そねよしとし)、軍用機の設計では天才的といわれた人

4代目社長:1981年、東条輝雄、東条英機の次男、軍用機設計の至宝といわれた技術者。 営業のトップが東17法卆味香(あじか)啓道、技術トップは1959年新三菱重工業で自動車用小型ディーゼル機関の実用化を担当し自動車技術賞受賞した京17機械卆関真治が品質管理を含め全て掌握

5代目社長:1984年三菱商事出身の事務屋の舘豊夫(たてとよお)社長就任、クライスラーと提携破棄。味香が引退し、舘社長は関副社長に開発と品質担当を一手に掌握させた。このとき固まった体制が後の品質保証に問題を起こしたとされる

6代目社長:1989年、京23機械卆の中村裕一*(ひろかず)社長、RVの開発技術者、後任の塚原・木村時代の実力会長

7代目社長:1995年、塚原薫久(のぶひさ)は中村の腹心で、社長に指名されるが、病気に倒れる。米国でセクシャルハラスメン事件で引退。一部本命とされた鈴木は失脚

8代目社長:1996年、木村雄宗*(たけむね)、不子会社から出戻り社長に指名される。総会屋との癒着発覚し引責辞任

9代目社長:1997年、横浜国大工卆の河添克彦*と宇佐美隆副社長*らはクレーム情報隠しで刑事事件被告となる。先輩の残した負の資産の犠牲者とも言える。心ある人は社長を引き受けず去る

10代目社長:2000年、園部孝(たかし)、慶応大卒、一応意識改革に乗り出すが、挫折、引退

11代目社長:2002年、ロルフ・エクロート、情報があがらなくなった 

12代目社長:2004年、多賀谷秀保、東大卒、会長は三菱重工出身の岡崎洋一、赤字を解消できず1年で退任

13代目社長:2005年、 益子修、早稲田大卒、事務系、 1972年三菱商事、 2004年三菱自動車常務、電池自動車の商品化

問題となったハブなどのトラブルはどの自動車メーカーも採用している共通のメーカーのもので、他社の車にも発生しているものである。社会問題化したのは三菱の隠蔽体質とそれを告発したメディアの役割が大きい。三菱がメディアを侮り対策をとっていなかったためもある。

隠蔽体質は軍事機密維持のための縦割り組織がDNAとなって秘密保持の伝統的企業文化を作り上げたためと考えられる。社内の風通しは悪く、隣の技術者のやっていることには関心が薄く、自分の担当している箇所の欠陥は隠そうとする保身術に磨きがかかった。また三菱重工から天下った労務系事務屋が、開発と品質管理のトップを同一人物に担当させるなど不適切な人事慣行をつくったのがその体質の維持に役立ったといえよう

*印の7名の歴代経営陣は2005/7/29、三菱自動車工業に退職金の返還請求されたが、ルーツはその前の世代にあるといえるだろう

情報元:経済評論家、梶原一明 他

Rev. July 5, 2009


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