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808

アルキメデスが生きた環境

2004/05/08

アルキメデスは天才でニュートン、ガウスと並ぶ3大数学者だそうだが、天才はある確率で生まれてくる。それを生かすのも無駄にするのも社会と思う。

そこで彼の生きた社会的背景に興味を持って、まずエンカルタでアルキメデスの項を開くと、そこからマイクロソフトのお勧めのドレクセル大のアルキメデスのサイトに飛 んだ。これによるとシシリー島のシラクサで天文学者の家に生まれ、エジプトに留学したとある。

当時シシリー島にはメッシーナとシラクサのギリシア人の植民地があった。シラクサは過去500年間地中海に広がっていたギリシアのアテネ、スパルタ、カルタゴの大ギリシア(マグナ・グレキア)のなかでダントツの経済力と文明度を誇っていたそうで、ローマなど文化的にはずっと下のほうだったそう だ。シラクサの軍司令官のヒエロがローマと同盟していたメッシーナに勝ってしまい。王に推挙されてヒエロII世になる。アルキメデスはこの王の支配下にいたわけである。シシリーにおけるローマとギリシア植民地間のパワーバランスが崩れて、第一次ポエニ戦争がはじま る。このときシラクサとカルタゴが同盟をむすぶが、ローマに負けてしま う。ヒエロII世は賢い人で第1次ポエニ戦争でローマに負けるとローマ側に寝返り、以降ローマと同盟を結ぶ。

23年後に第2次ポエニ戦争がはじまります。あの有名なハンニバルがスペインを抜けアルプスを越えた逸話の戦争であったが、アルキメデスが新兵器で活躍するのもこの時。彼が設計したというEuryalosの砦 の廃墟が今もシラクサの南7kmにあるそうだ。結局、アルキメデスはシラクサの落城と共に彼と知らないローマ兵に殺された。ローマ側はアルキメデスの才能をよく知っていて間違ってローマ兵が殺してしまったことを時の司令官は大変残念がったそうで ある。

最終的にカルタゴはスキピオによって滅ぼされる。そういえば過去10年間、塩野七生のローマ史を読んできたわけで、ポエニ戦争のその部分を紐解くとアルキメデス氏が出てまいりまして大活躍します。

というわけで天才はまさに文明の頂点で動乱の中で育つということではないか?安楽椅子にもたれて瞑想していては天才の才は磨かれない。


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