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641

アベラールとエロイーズ

2002/10/01

アベラール Pierre Abeard 1079〜1142頃 12世紀のフランスの哲学者。初期スコラ神学者。ブルターニュ地方のパレに生まれた。

パリの聖堂参事会員フュルベールの姪(めい)エロイーズの家庭教師になる。アベラールとエロイーズは恋におちて、息子アストララブをもうけた。ふたりが極秘に結婚したのち、アベラールはエロイーズにベネディクト会のアルジャントゥイユ修道院にはいるようにすすめた。最初ふたりの関係に激怒した伯父のフュルベールは、ふたりが結婚したことで怒りをおさめたかにみえたが、最後にはエロイーズが修道院にすてられたのだと考えて、アベラールを去勢させた。そしてアベラールもサン・ドニ修道院にしりぞいた。アベラールはその後、1125年ブルターニュのサン・ジルダの修道院長にえらばれる。この間にアルジャントゥイユ修道院の副院長になっていたエロイーズは、パラクレーの修道院へまねかれて、併設されていた女子修道院の院長となった。サン・ジルダでアベラールは自伝「わが不幸の物語」(1132)を執筆した。このときから、アベラールとエロイーズの間で有名な書簡がかわされるようになる。この往復書簡は、現在にいたるまで古典としてしたしまれている。

アベラールが始めたスコラ哲学は100年後に聖トマス・アクィナス、17世紀のデカルトに受け継がれる。

エロイーズとの恋愛はトリスタンとイゾルデの伝説が書き物として広まったこととあわせ西洋の男女関係に革命をもたらした。歴史家のジョセフ・キャンベルは「ある個人を選んで愛し、その人を生き甲斐とするという考え方が西洋社会の通念となった」それ以前は結婚は臓器同士の情熱か財産の問題であった。

ポリープラット著「フランス人 この奇妙な人たち


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