メモ

シリアル番号 表題 日付

251

沙也可(さやか)

97/10/14

●秀吉軍が朝鮮征伐のとき、軍事基地としたところが倭館(わがん)という。朝鮮事変ではここに終結した北朝鮮軍を米国が集中爆撃したため倭館の集落は壊滅したという。

●ところで、沙也可をリーダーとする種子島銃の製作技術を持つ3,000人の集団が秀吉軍より朝鮮防衛軍に寝返った歴史がある。寝返った理由が秀吉の処遇に不満を持ったのではないかと言われている。以降鉄砲を朝鮮軍も持つようになり、秀吉軍敗北の一因となった。この功績によりこの一団は土地をたまわり、朝鮮に帰化して11代になる。子孫200名のいる場所は友鹿洞(うろくとん)という。他の子孫4,000名は韓国全土に散らばっているのこと。

NHKテレビ番組、司馬遼太郎著「街道をゆく」による。

93/03/29にも本データベースー1に記入


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