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シリアル番号 表題 日付

1530

島津斉彬と薩摩焼酎と雷汞(らいこう)
2018/04/12

斉彬は「幕末の四賢候」のうちの一人とされている。青年期まで存命であった曽祖父第8代藩主・重豪の影響を受けて洋学に興味をもつ。老いてますます盛んな 重豪は、曾孫の島津斉彬の才能を高く評価し、斉彬と共にシーボルトと会見し、当時の西洋の情況を聞いたりしている。なお重豪は斉彬の利発さを愛し、幼少か ら暫くの間一緒に暮らし、入浴も一緒にしたほど斉彬を可愛がった。

斉彬は藩主に就任するや、藩の富国強兵に努め、洋式造船、反射炉・溶鉱炉の建設、地雷・水雷・ガラス・ガス灯の製造などの集成館事業を興した。

斉彬は銃のプライマーである雷汞も製造したが、そのためには硝酸水銀の硝酸溶液とエチルアルコールが必要となった。

斉彬は薩摩の芋焼酎を蒸留してエタノールを製造した。


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