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シリアル番号 表題 日付

1507

アルカサール・ベラスコ
2016/11/20

Nスペ アーカイブで1982年に放映された「私は日本のスパイだった」は第二次大戦中、外務省の須磨弥吉郎駐 スペイン公使がスペインのスファラディー・ユダヤ人のアンヘル・アルカサール・デ・ベラスコに頼んで組織したスパイ組織が集めた情報(東情報)がすべて米 国が解読していたことの紹介。

NHKはスパイの元締めアルカサール・ベラスコ自身を探し出して直接インタビューし、サンジエゴからガダルカナルへ出撃する米兵の懺悔まで聞き出してメキ シコ→スペイン→日本打電したこと、原爆開発情報も調べたが、諜報員はラスベガスで米国諜報員によって消されたこと、日本の敗戦におわり、米国の追手がス ペインにはいったことを知り、スイスににげたこと。外務省の岡本氏の言及した費用は月6−50、万ドルだったことなどを知った。このべラスコはフランコ政 権に反逆したかどで死刑宣告されたが、スパイになることを条件に釈放された人だった。NHKは当時通訳だった三浦文夫一等書記官が死の床に横たわる病院に おしかけ、三浦氏からの伝言を録音してスペインでベラスコに聞かせると「三浦は覚えていてくれたのか?一体自分は何のため働いたのか」とベラスコが慟哭す る場面で終わり、非常に印象的でした。

ついで米国側の全軍司令官付き情報参謀がインタビューに応じ、これらの東情報はすべて把握していたが、日本軍の動きをみているとそれを活用していないと判 断した。特に東情報では米軍が大軍をガダルカナルに投入していると東情報が伝えているのに小規模兵力と逐次投入するなど、おろかな行動をとったからであ る。日本には情報を全部見て総合的判断し、司令官に伝える情報オフィサーが存在しないためだと思ったとのこと。

ついで日本の情報将校を登場させ、その通り、陸、海、外務省は情報をバラバラにあつめて、司令部が自分に都合の良い情報を採用していた。したがって東情報などなどは片隅におしやられ、威勢の良いドイツ情報を信じていたと証言。

久しぶりに良質の番組を堪能した。

NHKでディレクターだった友人は「私は日本のスパイだった」は佐々木収造さん(当時60歳くらいでした)が構成・編集を担当。須磨公使の孫の須磨章氏 は、ひと世代若いNHKディレクター。須磨章氏の奥さんは井出佳津江という超美人のアナウンサー。彼が札幌勤務の時に佳津江さんに惚れて、せっせと東京通 いをしたという。「優れたディレクターは、優れた結婚詐欺と共通の能力を持っている」というのは真理。須磨佳津江さんは(辞めていなければ)多分、いまも ラジオ深夜便の人気キャスターの筈という。


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