メモ

シリアル番号 表題 日付

1472

松谷誠大佐
2015/08/27

参謀本部作戦指導課長の松谷誠大佐は敗戦2年まえから早期終戦をとなえて、東條にまで直訴して企画説得をしては左遷され、戦況が悪化すると呼び戻されることを繰り返し、結局最後には鈴木貫太郎首相の秘書官として敗戦処理をしたという話が NHK BSで放映された。

松谷大佐が残した言葉が「周囲強気のなかで弱気の主張をすることは大勇気を要す」でした。東條に直訴してシナ戦線へ左遷されたのを呼び戻してくれた杉山陸軍大臣が戦後自決したとき、その葬儀に出席したところ、陸軍の仲間はだれも彼に声をかけなかったという。

戦後、松谷誠氏は警察予備隊に入り、トップに上り詰め、引退後は家族にもなにも語らなかったという。
この番組のネタ本があるとみて探すと山本智之著「主戦か講和か―帝国陸軍の秘密終戦工作」がありました。

その書評に

このような松谷の処遇の背景に、陸軍内の中間派(日和見派)の存在を見る。そして、従 来は主戦派と考えられてきた杉山、梅津さらに阿南も中間派であり、状況によって主張を使い分けていた彼らこそが陸軍の中心だったとされる。「終戦」工作 は、その主体となった鈴木首相を筆頭に、表面上は強硬論を唱えつつ、お互いの腹を探り合いながら、徐々に進めざるを得なかった。このことを勘案すれば、主 戦派の圧力を最も強く感じていた陸軍内部で、その傾向が強かったことは、容易に想像できる。果たして、陸軍は妄想に駆られた「狂気」の集団だったのか、そ れとも「スーダラ節」よろしくわかっちゃいるけどやめられなかった日和見集団だったのか、考えさせられる一書。

とあった。

ネット上には極右勢力と思しきブログがあり、そこでは松谷誠大佐はコミンテルンの手先で、NHKも同じ仲間だとある。


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