メモ
シリアル番号 |
表題 |
日付 |
1462
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勝海舟と福沢諭吉は幕末の二大剣豪
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2015/03/21
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友人のTが勝海舟と福沢諭吉は幕末の二大剣豪だったと意外なことをいう
諭吉は居合抜きの達人
海舟は男谷道場の優等生だった
近藤勇でも、沖田総司でもない
その証拠に福沢諭吉の『福翁自伝』に
時刻はハヤ一時過ぎ、しかもその夜は寒い晩で、冬の月が誠によく照らしてなん
となく物凄い。(略)その頃は浪人者が徘徊して、そこにもここにも毎夜のよう
に辻斬りとて容易に人を斬ることがあって、物騒とも何ともいうにいわれぬ。そ
れから袴の股立ちを取って進退に都合のいいように趣向して、さっさと歩いて行
くとちょうど源助町の央あたりと思う、向こうから一人やって来るその男はたい
そう大きく見えた。実はどうだか知らぬが大男に見えた。「ソリャ来た」どうもこれは逃げたところがおっつかない。(略)「コリャ困った、今から引返すとか
えって引身になって追いかけられて後からやられる。いっそ大胆にこっちから進むにしかず、進むからには臆病な風を見せるとつけあがるから、衝き当たるよう
にやろう」と決心して、今まで私は往来の左の方を通っていたのを、こう斜めに
道の真ん中へ出かけると、あっちの奴も斜めに出て来た。コリャ大変だと思った
が、もう寸歩も後に引かれぬ。いよいよとなればかねて少し居合の心得もあるか
ら、どうしてくれようか、これは一ツ下からはねてやりましょうという考えで、
一生懸命、イザといえば眞實にやる所存で行くと、向こうもノソノソやって来
る。私は実に人を斬るということは大嫌い、見るのも嫌いだ、けれども逃げれば
斬られる、仕方がない、いよいよ先方が抜きかかれば背に腹は換えられぬ、こっ
ちも抜いて先をとらねばならん、(略)人を斬ったからといって咎められもせ
ぬ、ただその場を逃げさえすればよろしいと覚悟して、だんだん行くと一歩々々近くなって、とうとうすれ違いになった、ところが先方も抜かん、こっちはもち
ろん抜かん、ところですれ違ったから、それを拍子に私はドンドン逃げた。どの
くらい足が早かったか覚えはない、五、六間先へ行って振り返って見ると、その 男もドンドン逃げて行く。