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1461

吉田松陰
2015/3/19

吉田松陰は陽明学を理論的根拠にするテロリストである。テロで成功した長州出身者によって構成された明治維新政府によって美化されたために戦後も高い評価を得た。

儒教思想研究家の小島毅東大教授の朝日インタビュー記事によれば松陰は山鹿流兵学の家系にうまれたが洋学者佐久間象山に 師事。松下村塾で高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山形有朋を教える。論語の為政第二にある「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」から王陽明がとなえ た「知行合一」すなわち知(知ること)と行(行うこと)は同じ心の良知(人間に先天的に備わっている善悪是非の判断能力)から発する作用であり、分離不可 能であるとする考えをする陽明学の影響を強く受けた。良い意向なら人を殺しても良いということになる。これで革命が成功したとしてテロが自分に向かえば困るわけで禁止せ ざるをえないということになり、論理的矛盾に陥ような論理が通らないことになる。幕府への反乱を起こした大塩平八郎はこの陽明学によっていたため、幕府は危険思想とし、陽明学は普及してなかっ た。しかし水戸光圀以降 水戸藩は陽明学に傾倒し、松陰を感化し、結果として幕府を倒したことになる。

私が吉田松陰について知っていることは明治維新を成し遂げた志士の先生だったということくらいだが、wikiなどを観ると教師としては知識をおしつけるの ではなく、一緒に考えるという理想的な教え方だったようだ。そのため、教え子が伸びたと感じる。しかし彼の認識がそのまま太平洋戦争までの指導原理になっ たのだと思う。

以下はwikiにある彼の思想の要約です

一君万民論
「天下は万民の天下にあらず、天下は一人の天下なり」と主張して、藩校明倫館の元学頭・山県太華と論争を行っている。「一人の天下」という事は、国家は天 皇が支配するものという意味であり、天皇の下に万民は平等になる。但し、天皇のために万民が死にもの狂いで尽くす事が必要である。一種の擬似平等主義であ り、幕府(ひいては藩)の権威を否定する過激な思想であった。但し、天下は万民の天下なり、という国家は国民の共有であるし、君主はその国民に支えられて 存在するという点からすれば、吉田松陰には天皇があっても国民がないのではという批判もある。ちなみに「一君万民」の語を松陰が用いたことはない。

飛耳長目
塾生に何時も、情報を収集し将来の判断材料にせよと説いた、これが松陰の「飛耳長目(ひじちょうもく)」である。自身東北 から九州まで脚を伸ばし、各地の動静を探った。萩の野山獄に監禁後は弟子たちに触覚の役割をさせていた。 2001年に「無明舎」から出版された、織田久著、「嘉永五年東北―吉田松陰 『東北遊日記』抄にくわしい。長州藩に対しても主要藩へ情報探索者を送り込むことを進言し、また江戸や長崎に遊学中の者に「報知賞」を特別に支給せよと主 張した。松陰の時代に対する優れた予見は、「飛耳長目」に負う所が大きい。

草莽崛起
「草莽(そうもう)」は『孟子』においては草木の間に潜む隠者を指し、転じて一般大衆を指す。「崛起(くっき)」 は一斉に立ち上がることを指す。“在野の人よ、立ち上がれ”の意。安政の大獄で収監される直前(安政8年(1859年)4月7日)、友人北山安世に宛てて 書いた書状の中で「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼なし。されど本藩の恩と天朝の徳とは如何にして忘るゝに方なし。 草莽崛起の力を以て、近くは本藩を維持し、遠くは天朝の中興を補佐し奉れば、匹夫の諒に負くが如くなれど、神州の大功ある人と云ふべし」と記して、初めて 用いた。

対外思想
『幽囚録』で「今急武備を修め、艦略具はり礟略足らば、則ち宜しく蝦夷を開拓して諸侯を封建し、間に乗じて加摸察加(カムチャッカ)・隩都加(オホーツク)を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからめ朝鮮を責めて質を納れ貢を奉じ、古の盛時の如くにし、北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋(ルソン)諸 島を収め、進取の勢を漸示すべし」と記し、北海道の開拓、琉球(現在の沖縄。当時は半独立国であった)の日本領化、李氏朝鮮の日本への属国化、満洲・台 湾・フィリピンの領有を主張した。松下村塾出身者の何人かが明治維新後に政府の中心で活躍した為、松陰の思想は日本のアジア進出の対外政策に大きな影響を 与えることとなった。

吉田松陰の弟子の高杉晋作、久坂玄瑞は御殿山に建設中の英国公使館に放火している。テロリズムによって最終的に革命が成功したわけで、明治政府は吉田松陰を顕彰した。皮肉にもといっていいか、当然にもと言ってよいのだろうが 伊藤博文は同じ思想を持つ安重根にハルビンで暗殺されている。そして水戸学は昭和維新で皇国史観を生み出し、第二次大戦に向かう理論的なバックボーンに なった。

戦後も司馬遼太郎の明治維新美化史観(官軍史観)の 影響で吉田松陰のテロ行動の賞賛が残り、NHKなども大河ドラマ「花燃ゆ」などで松陰人気を煽る。しかし「善意ならテロも可」というはなはだ危険な思想であることに変わりはない。NHKは結果として吉田松陰を 信じる長州藩の末裔が支配する日本政府の危険な宣伝機関となっている。幸い「花燃ゆ」の視聴率は史上最低とかで、視聴者のレベルは高いのかもしれしれな い。

私はある体勢が行き詰まったとき、革命は必要だし、流血の暴力は必要悪だと信じていたわけで、明治維新もそのように観ていた。米国憲法は市民が武器を所有 することを禁じてはいない。これは時の権力が暴走したとき市民が反抗して権力を転覆させる権利をみとめて、権力の暴走を抑える仕組にしているためという。 ところが、松陰のテロの容認は拮抗力を維持するというより、無条件の暴力を容認していて昭和維新の軍部の暴走を引きおこし、太平洋戦争にいたったわけで、 もろ手を挙げて賛同できないと思い至った。加えるに最近アラブ過激派の暴力をみて、ますます悪くなっている世界情勢をみるにつけ、松陰のテロ容認思想を問 題視するようになった。このままでは世界大戦に行き着くのでは?

吉田松陰が信じた陽明学は流血の暴力は目的が正しければしてよろしいということを教えている。しかし、血は血を呼びエスカレートする。カオスになって初め て新しい体制が生まれるでは効率が得悪い。小説家や歴史家にとってはメシの種ですが殺される人間にとっては割に合わない。

アントニオ・ネグリ、マイケル・ハートは「コモンウェルス(上下)―<帝国>を超える革命論」で革命は暴力的でなければ成立しないのか?と自 問し、答えはイエスとしている。だが革命は力の行使を必要とするが流血を必要としない。平和な街頭デモ、脱出、メディアキャンペー ン、労働ストライキ、ジェンダー規範の侵犯、沈黙、皮肉などがあるとしている。特に脱出が有効だろう。妨害行為や共同作業からの離脱、カウンターカル チャーの実践、 全般化された不服従である。

Rev. March 21, 2015


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