メモ

シリアル番号 表題 日付

1451

森田佐治右衛門家
2015/01/18

総合知学会会員の森田氏は実は森田佐治右衛門家34代当主だと言う。初代は清水谷仁斎という典医で藤原北家の系統。藤原北家は藤原家でも最も栄えた系統で右大臣藤原不比等の次男藤原房前を祖とする家系。

埼玉の龍原駅JR駅近くの新堀地区に代々の屋敷があり、中山道に面して勅使門があったそうだ。江戸時代は400町歩の土地を所有していたという。まだ少し残っている。

調べたら渡辺崋山の『客坐録』(かくざろく)の天保2年(1831年)11月ころの記録が残る。ここにある「國濟寺 薬師堂」とは、深谷宿から熊谷宿方面へ中山道を歩いた時、右手にあったお寺へ崋山が立ち寄ったことを示すもの。「新堀森田佐治右衛門 古き家なり」とは、熊谷宿へ向かう途中、新堀(にいぼり)という土地で立ち寄った家が、森田佐治右衛門家であったことを示すもの。崋山は佐治右衛門と会っている。

行田市の忍城の城主成田氏は藤原師輔の流れを汲む家系で同格だったという。石田光成の水攻めでも落城しなかった名城。しかし成田氏は戦国の武将になったため滅亡。森田家は目立たないようにして新堀の地で生息し続け今に至る。


トップ ページヘ