メモ

シリアル番号 表題 日付

1425

日野の方丈石
2014/07/10

京都の醍醐寺に南の日野に鴨長明が「方丈記」を綴った方丈庵があった。その跡には記念の石碑が置いてあり方丈石と呼ばれているという。現在、一般に方丈庵特定 地とされているトコロは、明和9年(1772)に岩垣彦明建立したものだ。しかし草部了円旧龍大教授は「東に3尺余りの廂を設け、南に懸樋を引く広さなど の余裕はなく、家を建てる広さなどもない」と述べている通り、土地は大岩の上で狭く、谷の傾斜がきつく、西日は、少しだけしか当たらない。また、方丈記に 描かれてある方向の眺めも遠望できない。好事家によって出鱈目に建てられたに過ぎないとしている。

草部了円は「記述内容を検討して、この日野山付近の地形を案する時、最もその条件に適した閑居の地と目せられる場所としては、天下峰の麓でその西北と南の 裾を伝わって流れる、二つの小川の合流点を今少し谷に沿って奥まった所に少地がある。ここならば、方丈記の表現に適合する」として、細かく真の方丈庵旧跡 を立証している。「方丈庵」は、一切無駄がなく、身の丈に応じた住まい、必要最低限の間取りと所持品を方丈記に記している。畳4畳半の広さの部屋。モデル ルームが下鴨神社にある。

この推定地は、日野集落の日野薬師(法界寺、親鸞生誕地)から南、天下峰と御倉山の間に流れる小川沿いにある。

現在、山科自動車学校を南に少し歩くと、小川に架かる簡易橋があり、それを渡り、小川右岸の里山道を100メートルほど遡ったところである。里山道も下草が刈り取られている。

地下鉄六地蔵から歩いて1時間。東にある平尾台の東の谷合い。

宗教学者山折哲雄が方丈石に出向いてしたり顔に「やはり現場に立たないと」と随筆を書いているが、不勉強をさらしてはずかしい。

http://qta.chicappa.jp/hiking2012-06-06.htm


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