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1415

ダマスカスへの道
2014/02/28

スエーデンの合唱団の日本講演の録画をみていたら奴隷船の船長が嵐に会い、沈没の危機に奴隷を開放したところ彼らの助けで生還できたという合唱曲のなかで 「ダマスカスへの道」とか「回心への道」と聞こえた。そしてその曲の最後に讃美歌アメイジング・グレイスがうたわれる。どういうことかとしらべたら?讃美歌の作詞者ジョン・ニュートンの実体験を歌にしたと分かった。

ジョン・ニュートン はイギリスに生まれた。母親は幼いニュートンに聖書を読んで聞かせるなど敬虔なクリスチャンだったが、ニュートンが7歳の時に亡くなった。成長したニュー トンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなったが、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に携わり富を得るように なった。当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であった。このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症や脱水症状、栄養失調などの原因で死亡 したといわれる。ニュートンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていたが、彼が22歳の時にイングランドへ蜜蠟を輸送中、船 が嵐に遭い浸水、転覆の危険に陥ったのである。今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が 弱まり、船は運よく難を逃れたのである。ニュートンはこの日を精神的転機とし、それ以降、酒や賭け事、不謹慎な行いを控え、聖書や宗教的書物を読むように なった。また、彼は奴隷に対しそれまでになかった同情を感じるようにもなったが、その後の6年間も依然として奴隷貿易に従事し続けた。のちに、真の改悛を 迎えるにはさらに多くの時間と出来事が必要だった。

ニュートンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の献金を重ねて牧師となった。そして「アメイジング・グ レイス」が作詞された。歌詞中では、黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにも拘らず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われている。

Amazing grace!(how sweet the sound)
That saved a wretch like me!
I once was lost but now am found
Was blind, but now I see. ・・・

ではなぜ「ダマスカスへの道」が「回心への道」とされるのか調べたら、聖パウロの回心のことであった。パウロはじめキリスト教の弾圧側にいた。かれがエルサレムからダマスコへの途上において、 「サウロ(パウロ)、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と、復活したイエス・キリストに呼びかけられ、その後、目が見えなくなった。アナニアというキリスト教徒 が神のお告げによってサウロのために祈るとサウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになった。こうしてパウロはキリスト教徒と なった。この経験は「パウロの回心」といわれ、シリアのクネイトラから北東にある小さな村コカブ(Kokab)の付近を通ったとき起きた。コカブはいまシリア内戦で 破壊された。

パウロ書簡には新約聖書中『ローマの信徒への手紙』『コリントの信徒への手紙一』『コリントの信徒への手紙二』『ガラテヤの信徒への手紙』『フィリピの信 徒への手紙』『テサロニケの信徒への手紙一』『フィレモンへの手紙』がある。なかでも『コリントの信徒への手紙一 第13章』はプリンセス・ダイアナの葬儀でブレア首 相が読み上げたのを覚えている。

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、 やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようと も、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益も ない。

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える・・・

パウロがいなかったら、キリスト教が今の姿にはなっていないだろう。それくらい彼の功績は大きい。


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