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1414

大和の装甲は世界最強だったか
2014/02/27

日本海軍は皮肉にも航空機による真珠湾攻撃の成功によって大和が無用の長物であることを証明した。そのあとは大和ホテルと揶揄されながら戦線に出ることはなかった。

では厚さ66センチの主砲の装甲は盤石であったのか?実は副砲の装甲の厚さは2.5センチしかなかった、ここから弾薬庫に敵弾がはいれば誘爆轟沈だった。 なぜこうなったかは縦割り組織のためだ。東電福島のように5.7mを越える津波は来ないという神話とおなじことが生じていたのだ。ではなぜ大和最強の神話ができたのか。単なる願望がそのような幻想を生んだのか?

設計者の牧野は戦後大和の艦体の22%しか装甲していなかったと証言。厚さ66センチとはいえ、幅は3メートルしかなく、つなぎ目はリベット止めだから弱い。沖縄の海に沈んだ艦体はばらばらであった。牧野茂はこれを終始無言で苦し気に見ていたという。

戦後米軍は呉造船にの残されていた大和と同型で空母に改装された信濃の厚さ66センチの装甲を持ち帰って40センチ砲でうったところ装甲は撃ち抜かれた。その破片はワシントン郊外のネイビーヤードに保存されている。戦艦同士でも勝ち目はなかったということになる。


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