メモ
シリアル番号 |
表題 |
日付 |
1357
|
三従七去
|
2012/09/08
|
七去三従 または 三従の道 七去の悪 ともいう。
「三従」は、
1.生家では父に従う。
2.嫁にいっては夫に従う。
3.夫の死後は子に従う。
「七去」とは、夫が妻を離婚できる七つの条件。これに一つでも該当すると、離婚することができる。
1.舅に従わない
2.無子
3.多言
4.窃盗
5.淫乱
6.嫉妬
7.悪疾
女大学がこの思想で儒教由来とされている。李朝もこのルール。
しかしアジア大学の飯島名誉教授はマヌの法典第5章の婦人の義務のところにある有名な言葉「婦人は幼にしてその父に、若きときはその夫に、夫 死たつ時は、その子息に従うべし」が江戸時代の「女大学」に取り入れられている。としている。
飯島先生はマヌの法典が古代中国にとりこまれ風習となり儒教に取り入れられたという説をとる。
マヌの法典は紀元前2世紀から紀元後2世紀にかけて成立したと考えられている法典(ダルマ・シャーストラ)。世界の創造主ブラフマーの息子にして世界の
父、人類の始祖たるマヌが述べたものとされている。バラモンの特権的身分を強調しており、バラモン中心の四種姓(カースト制度)の維持に貢献したとされ
る。
孔子は春秋時代の周末に孔丘(孔子、紀元前551年‐紀元前479年)は魯国に生まれたとあるから、間違いなくマヌの法典より古い。しかしバラモン教の教
えを理論的に深めたウパニシャッド哲学が形成されたのは紀元前7世紀から紀元前4世紀にかけてであるので儒教はウパニシャッド哲学の影響を受けたとは言え
る。
中國や朝鮮の歴代政権は王とそれをとりまく科挙で選ばれた官僚群が支配している構造であるが、武家政治には科挙の制度はなかった、だから日本を例外とし、東洋は、西洋に負けたのだ。
NHK