メモ
シリアル番号 |
表題 |
日付 |
1318
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原爆による被曝
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2011/8/19
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直接被曝
東大医学部の都築教授がまとめた爆心からの距離と死亡率の相関は爆発の直接の放射線の影響だけを整理したもの。これは占領下で日本から持ち去
られT65D(Tentative 65 Dose)と呼ばれる相関図が作成され極秘データClassified
(軍事機密)として、米国のいくつかの研究所に持ち込まれ、その基礎(推定)データをベースに、ネバダなどで模擬実験が行われた。ICRPの安全基準もこ
れに準拠している。
1966年オークリッジ研究所がこれに異を唱えた。推定値のT65Dと追跡調査による広島・長崎原発の発病率を突く合わせ、相関関係を計算した結果、
(1)中性子の方が、ガンマ線より人体への影響が大きい。(2)1,000レム以上被曝すれば、全員死亡する。(3)25レム以下で、一時的にリンパ球が
減少するとした。
ローレンス・リバモア研究
所はオークリッジ研究所のデータの見直しを主張。そこで、模擬実験が何回もこなわれ、T65Dをベースにした定説をくつがえす衝撃的なデータがつぎつぎと
飛び出してきた。W.ロウ主任研究員らは、広島・長崎原爆で人体被害をもたらしたのは、中性子よりガンマ線ではないかとした。
―木下情報
JCO臨界事故で隣の自動車部品工場経営者の妻は事故後5日間激しい下痢。夫は1月後持病の紅皮症が悪化。81歳で脳梗塞で死亡。
残留放射線による被曝(入市被ばく)
都築教授はマッカーサー付米軍医のオーターソン大佐の疑問に応えるべく、爆発4日後に爆心地に調査のために入った残留放射線の被害者(入市被ばく)である
門田医学生を探し出し、彼に日誌をつけることを薦め、これを英訳して米軍に渡したのも都築教授であった。これも米国の軍事秘密として日本では開示されな
かった。(60年後には米国情報公開法のおかげでフルコピーが手に入る)日本側には満州で783部隊が細菌・毒ガス部隊が残酷な人体実験をしていたため、
軍医関係者は戦犯にされるのをさけるために、積極的に原爆被害を調査して報告書を作成し、これを英訳して自発的米軍に提供したという取引があったと軍当事
者は告白している。こうして日本では入市被ばく者は証拠なしとして国家から打ち捨てられてきたわけで、われわれは戦後も冷酷な国家を持っていたものだとわ
かる。
さてこの残留放射線による被曝に関する報告書の封印が日本の放射線医学者の偏向の原因であり、風評被害を発生させている。国家のためというのは表向きの理
由であり、当事者が楽しようという手抜きにほかならない。原爆の残留物は少量だが、原発は多量の汚染物質をばらまきので今後は内部被ばくが新たな脅威とし
て今後20年間われわれを苦しめるであろう。
―NHK Special「封印された原爆報告書」
米国のピッツバーグ大学トーマス・F・マンクーゾ博士は1944年〜72年に至る29年間に、プルトニウム製造のハンフォード原子力施設で働
いた労働者2万4939人のうち、調査時点での死亡者3520名。そのうち白血病を含むガンによる死者670名。全米白人のガン死亡率より6%以上も高
かったのを発見。1977年「マンクーゾ報告」をだし、低レベル放射線はスローデスをもたらすと警告したが、国家に迫害され、彼の報告は抹殺され、ノン・
ペルソナグラタの指定された。
―木下情報
マンクーゾ博士によって弾劾されたハンフォード原子力施設はその後、環境汚染問題を生じ、ベクテル社が除染作業を請け負ったが、技術的にまたコスト的に難航している。ここに六ヶ所村の未来が見えてくる
―Ron Cooper
情報
広島大学原爆放射線医学研究所教授星正治はセミパラチンスクのヒロシマ型原爆実験場爆心から100kmはなれた住民1000人のドロール村に降った黒い雨
による60年にわたる累積外部被ばく量は350mGy(ガンマ線とすれば350mSv)で広島の爆心から1.6kmの爆発時の線量を同じとした。広島の
17,000名の湯来町も黒い雨の被害者であるが、国は半径3.5km以内の直接放射線を浴びた人しか原爆症認定をしていない。
広島大学 原爆放射線医科学研究所 放射線生物学 田中公夫博士は血液の奇形遺伝子の数は3年くらいの寿命しかなくどんどん減っていくわだから、原爆実験
から60年も経っているのに、ドロール村の住民の血液のい遺伝子の奇形が維持されているというのは体の中に、プルトニウムとか、そういうものが残ってい
て、そこを血液が回る度に被ばくして奇形が維持されているとしか考えられないとしている。
ドイツの放射線保護庁のグロッシュ博士はセミパラチンスクに残されたカイナール村のカルテを整理して被ばく累積量に比例してガン化する。そし
て累積量が同じなら低レベルの長期間累積内部被ばくのほうが短期間高レベル被ばくの2倍のガン化するという結論をえている。この被ばくは主として井戸水と
放牧している馬乳によるとされる。急性症状はだるい、疲れやすいで最後はガンか心筋梗塞で死ぬ。
カザフスタン セミパラチンスク(現セメイ市)旧第4診療所 元所長 ボリス・グ
セフさんは患者の治療を行ったか、病気のことを教えたか、と問われれば、答えはノーです。ソビエトは死の灰の影響を否定する一方で、調査だけは行っていた
のです。すべてを調べ上げ、そして人々には絶対に知らせない。それが重要だったのです。実験は収穫の季節の風の強い日を選んで行われました。この意味はわ
かるでしょ。住民を通して、何が起きるのかを調べていたんです。
この結果に大変驚きました。なぜなら、がんのリスクは、広島、長崎と同じ程度だろうと思っていたからです。しかし、結果は明らかに高くなりました。このこ
とは、死の灰による被ばくが、瞬間的な被ばくと比べて、長期的に見れば、がんのリスクを高めていることを物語っているのです。
がんのリスクが高くなったのは、外からの被ばくだけではないからです。体の中からも被爆しているのです。体内に入った放射性物質ががんを引き起こしている
と私は見ています。
旧ソ連 生物物理学研究所 ワジーム・ロガチョフさんは大半の住民が内部被ばくをしていました。食べ物の中でも、特に乳製品の影響が大きいことがわかりま
した。核戦争が起きた時に備えて、ソビエトは、内部被ばくをはじめとする様々なデータを蓄積しておかなければならなかったのです。
―2009年9月2日放送 NHK総合 NHKスペシャル 核は大地に刻まれていた 死の灰 消えぬ脅威
米国がビキニ環礁でおこなった1954年の核実験での第五福竜丸事件は有名だが、室戸船籍の第二幸成丸も被ばくしていた。50-60歳代の乗組員が心臓麻痺、大腸がん、肺がん、血液がんで死亡。