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シリアル番号 表題 日付

1281

屋嶋城

2010/04/08

屋島にあった古代山城

日本書紀には、白村江(はくすきのえ)の戦い(天智天皇2年)で、百済救援に向った大和政権は、唐・新羅の連合軍に敗れ、朝鮮半島から撤退した。報復を恐れたという天智天皇は26の古代山城を築いた と書いてある。うち13の城は新羅に滅ぼされた百済人が築いた「朝鮮式山城」だという。福岡県の大野城や岡山県の「鬼ノ城」、「屋嶋城(やしまのき)」もその一つ。いずれも瀬戸内海から良く見えるところにある。

屋嶋城は長期間その存在が不明であったが、2000年ころ地元研究家の平岡岩夫らが早期退職しその遺構石塁を探し当てた。現在はその復元が進められている。屋嶋城を囲んでいる城壁は長さ約3kmで最大幅0.5kmと推定されている。 いまでも城門遺構(南嶺)や、石塁(北嶺の西面)、貯水池跡などが残されている。

「鬼ノ城」は岡山県総社市の鬼城山(きのじょうざん 標高397メートル)に遺る神籠石式山城。吉備地方には桃太郎話のモチーフとなったといわれる温羅伝説が残る。 古代吉備地方には百済の王子と称する温羅(うら or おんら)という鬼が住んでおり、鬼ノ城を拠点にこの地方を支配し悪行を行っていた。吉備の人々は都へ出向いて窮状を訴えたため、これを救うべく崇神天皇は孝霊天皇の子で四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)の一人・吉備津彦命(きびつひこのみこと)を派遣した。 温羅は製鉄技術をもたらし吉備を治めた技術者であり、豪族ではないかとされる。また、血吸川の川の赤さは鉄分によるものであろう。吉備地方は古くから鉄の産地として知られ「真金吹く吉備」と呼ばれていた。実際、鬼ノ城の東麓には日本最古級の製鉄遺跡が存在する。

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