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1278

中国の原爆実験場

2010/03/29

札幌医科大学の高田純教授(核防護学)が1996までに中国が新疆ウィグル自治区、ロプノール湖周辺で行った46回の核実験から爆発威力や放射線量、気象データや人口密度などをもとに被害を推定した。それによると同自治区のウイグル人ら19万人が急死したほか、急性の放射線障害など甚大な影響を受けた被害者は129万人に達するとの結果となった。この間、NHKシルクロード特集につられて楼蘭を訪問した日本人観光客の累計は27万人という。

NHKカメラマン1名は取材後放射能障害と思しき症状で死亡しているし、俳優として現地にとんだ夏目雅子さんが白血病で死亡したこととの関連が疑われている。

伊勢雅臣氏によると1980年にNHKは中国軍に引率されて、核爆発が強行された周辺にある楼蘭遺跡を取材したのだが危険なところは中国側が撮影したという。ここらへんのいきさつはNHKシルクロード第3巻『幻の楼蘭・黒水域』に書いてある。 なお黒水とは内蒙古自治区アラシャン盟エチナ旗にある幻の王国西夏王国の遺跡、黒水城(カラホト)のことで周辺は軍事基地がおおいという。

取材班は、「楼蘭は重要な軍事基地、恐らく核実験場ではないかと想像していた。1964年から25回にわたって行われた核実験は、いずれもこの地域で行われたといわれている。1949年の中華人民共和国の誕生以来この地域は、国家の最高機密の地として、外国人はもとより、中国人でさえ特別の要人以外は立ち入ることができない。

しかし、その楼蘭に入ることを、日中共同取材班はついに許可された。たび重なる交渉の末である。これはCCTVのスタッフにとっても思いがけない喜びであったのか、「楼蘭に入るのは、解放後私たちが初めてです」と何度も何度も繰り返すのであった。

ただし一部分は中国側だけで撮影することが条件であった。したがってこの取材記のある部分は、私自身の実見によらないで中国側の屠団長の報告、および撮影したフィルムをもとに記述していることをお断りしておく」と書いてある。

1980年3月29日、NHK取材班は敦煌を出発し、西方430キロメートルの楼蘭を目指した。NHK取材班5人、考古学者の九州大学・岡崎敬教授、それに中国中央電子台職員が加わって、総勢15人からなる一行であった。翌日、中国共産党軍が合流し、それに引率される形となった。4月11日、「さまよえる湖」と呼ばれるロブノール湖があるとされる720地点についたが、それらしき湖は見つからなかった。13日、80キロを北上し、1980年、楼蘭鉄板河遺跡で発掘されたミイラを撮影した。 これが「楼蘭の美女」である。このミイラは現在は楼蘭の北西350kmにあるウルムチの新疆ウイグル自治区博物館に移されて展示されている。

その後、なぜか取材班は南方の720地点に戻り、そこから北西50キロに位置する楼蘭遺跡に移動した。なぜわざわざV字型の移動をしたのか。中共軍は、まっすぐ移動する道のりは悪路だと説明した。しかし、高田教授がNHK取材班の足取りと、核爆発の地点をあわせて地図化すると、その理由が見えてきた。V字の中に、4メガトン、2.5メガトン、2メガトン、0.6メガトンの核爆発ゼロ地点があったのだ。核弾頭が炸裂してできたクレーターなどの目撃を避けるための迂回路であったのかどうか。


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伊勢雅臣氏の推論をGoogle航空写真で検証してみた。Google航空写真では楼蘭の位置はピンクのマーカーAの位置となる。720地点はここから南東に50kmの干上がったロブノール湖の西岸らしき地点だ。ミイラを撮影した720地点の北80kmもロブノール湖の西北隅である。

V字型の中間は土漠で核爆発ゼロ地点であるクレーターらしきものは見えない。

http://www.atomicarchive.com/Almanac/Testing.shtml

は世界の全ての実験場を掲載している。このLop Nur実験場は(40.75558°N, 89.500122°E)であるとし、Google航空写真にマークしてある。しかしマークのあるところは東風村である。U-Tubeで大気中の核実験を見ると背後に丘陵地帯が見える砂漠地表での爆発。丘陵地帯に観測点を設けで砂漠の爆発を観測する場面もある。そのた航空機からの水爆投下実験と多数ある。背後の丘陵地帯はロプノール湖の北にあるものだろう。そうすると最も放射能を撒き散らす大気中の実験は楼蘭から10kmに満たない。そして中国は大気中の実験を1980年までしている。NHKはその頃取材しているのだ。

地下実験は1980年の最後の大気中実験以降も継続されるがそれは東風村の東方30kmから50kmにかけての山岳地帯ではないかと思える。なぜなら村の東方に工事用道路がみえ、それが消えるところに真円形に変色したスポットが複数個見える。そこは上の航空写真の楼蘭の北北西30kmから北東50kmの山中に相当する。工事用道路のルートは白線で示されている。

そういう目でみれば「楼蘭の美女」を撮影するために北上した干上がったロブノール湖西岸は草原なのか緑色の鉱物なのか緑色に見えるがV字型の場所は楼蘭の東北に褐色の土漠となっている。 楼蘭の東北10kmと15kmのところにクレーターとうほどではないが円形の凹みが3個ほど見える。ここが大気中核実験場かもしれない。航空写真をよく見ると720地点から楼蘭に向かう一直線の未舗装の道が見える。NHK取材後の観光ルートになったためなのかなとも思う。

楼蘭の遺跡は干上がった川の脇にある。「楼蘭の美女」が纏っていた衣服は炭素年代測定によって紀元前19世紀頃とされている。今から4,000年前は湿潤で緑の草原であったのだろう。いずれにせよ放射能で汚染されているかもしれない地を4輪駆動車、砂漠用トラック、テント、現地食調達の観光旅行でこのような未舗装の道をゼロ地点から30kmの至近距離にある楼蘭訪問のため出かけるのは無防備すぎる。

遊牧民はどうしていたのか気になる。カルシウムやカリウムになりすまして生物に摂取される半減期28年のストロンチウム90や半減期33年のセシウム137は 食物連鎖の最高位にいる遊牧民の食事のミルクやチーズ経由で濃縮摂取されやすい。Uチューブなどで英国人女医が観光客をよそおって原住民を調査しているビデオを見ると骨が 次第にだめになる先天性疾患を抱える子供達と青年がおおいので多分ストロンチウム90や半減期33年のセシウム137を含むミルクや肉を食べたのだろう。このような映像をみれば中国は日本が満州にしたことに関し批判できないだろうと思う。

ストロンチウム90や半減期33年のセシウム137は実験後数十年過ぎれば減衰するが。プルトニウムなど半減期が1万年と長い。ただそもそも兵器に使われるくらい平常時の放射能は兵員に危害を与えない程度に弱いのであまり問題にならないだろう。

楼蘭のある 東トルキスタン地域は、中国共産党が1949年に軍事侵攻し、支配下においた土地である。そしてこの地で最初の核実験が1964年10月の東京オリンピック期間中に始まり、1996年まで続けられた。この東トルキスタンと国境を接するカザフスタンは、かつてソ連の支配下にあり、そこにはソ連によるセミパラチンスク核実験場が設けられていた。中国の核実験の非道ぶりは、ソ連と比較しても明らかである。

ソ連の核実験場は四国ほどの面積の土地から人々を外部に移住させ、周囲に鉄線で囲いを設け、実験場につながる道路の出入りを厳重に管理していた。その広大な面積においても、場外の民衆の安全に配慮して、最大0.4メガトンに抑えていた。さらに核爆発を実施する際には、核の砂が降ると予想された風下の村の人々を、事前に避難させる措置も一部とっていた。一方、中国は、鉄条網で囲んだ実験場など設けていなかったと、現地の人々の証言からも推察される。しかも、最大4メガトンと、ソ連の10倍もの規模の核爆発を行った。さらに住民に警告して避難させるなどという措置もとらなかった。逆に現地の農民は「(核爆発)基地では、漢人の住む方向に向かって、つまり西から東に風が吹く時は核実験をしない。西に吹いた時に行っていた」と憤っているという。

楼蘭を含むシルクロード第T部「絲綢の道」には参加せず、第U部「ローマへの道」から取材スタッフに加わった友人はT・U部共通のスタッフから楼蘭取材の裏話を聴いたことがあるという。たしかに肝心の場所には日本人スタッフが入れず、中国人カメラマン(中国側の団長はカメラマンでした)が撮影したと聞いたという。

この友人は「このケースに限らず、複雑な背景を持つ対象に向き合う時、意図的に、あるいはそれと気付かずに、国家や団体・企業の思惑の「共犯者」になる危険は常に存在しています。楼蘭を訪れたオーレル・スタインやスヴェン・ヘディンを初め、探検家や考古学者たち、あるいはまた、現代の企業の先兵たちもその埒外ではないでしょう。NHKの場合は、「未踏の地の映像を伝える」という気負いが、他のすべての配慮を上回ったのだと想像します。それによって(放射能の)被害を受けた人が一人でもいたとしたら、ジャーナリストの責任を追及されて当然です」といっている。


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