メモ

シリアル番号 表題 日付

1180

留学生と外国人妻

2008/01/21

森鴎外

3説あり。

@アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルトAnna Berta Luise Wiegart説:一般に知られるエリーゼ・ヴィーゲルトElise Wiegartは1888年7月25日ハンブルグ港を出航したブラウンシュバイク号の乗船名簿にある15才の少女の名前である。(当時日本はドイツ人にパ スポートを要求せず乗船名簿で代行していた。したがって鴎外が愛称としてつかっていたエリーゼを乗船名簿に書いたらしい)アンナはマグデブルグ出身のカト リックの仕立て職人とベルリンのプロテスタントの母との間の娘。母の実家クニッペル家の不動産を相続して裕福であった。鴎外は外国人との結婚を禁ずる陸軍 の掟に従い、逐客(ちくかく)と なる覚悟で別の船でアンアを横浜に連れてきたが、母の「母をとるかアンナ」を取るかとの要求に折れて説得して帰国させる。アンナは20才になってガラス職 人ケーターと結婚。79才まで生きた。いまでも子孫がベルリンに住んでいる。晩年の写真あり。鴎外は親の決めた海軍中将赤松則良の娘と結婚するが長男が生 まれたとき出奔。後、志けと再婚、4児をもうけるが次女杏奴(あんぬ)、三男類(るい)の 名前はアンナ・ベルタ・ルイーゼに因む名と思われる。以上NHK BS3 2010/11/19。この新説はテレビ番組制作会社「テレビマンユニオン」のディレクター・今野勉さん(74)が、森鴎外の遺品の刺繍用型金などから代 表作「舞姫」のヒロイン・エリスのモデルとなった女性を特定。今野さんは鴎外の生涯を描いたドラマ「獅子のごとく」(1978年)の演出を手がけ、エリス のモデルに関心を持った。当時、この女性から鴎外に贈られたと見られる刺しゅう用の型板の上方に「W」「B」の文字を発見し、今野さんは「エリスはW・B のイニシャルを持つ女性ではないか」と推測していた。2000年、ベルリンの大学で客員教授を務めた植木哲(さとし)朝 日大教授が不動産登記簿などから、エリスのモデルが「アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルト」ではないかとする説を提示したのを踏まえ、再度、型板を検 証したところ、型板の上方に「W」「B」のほかに「A」「L」の文字も確認することが出来た。今野さんは2010年6-7月にドイツやフランスなどで取材 し、アンナの孫へのインタビューを行ったほか、晩年のアンナの写真を入手した。植木哲氏は鴎外の子の名前も「アンナ・ベルタ・ルイーゼ」か取ったのではな いかと指摘していたが、今野さんは、「その仮説が裏付けられたのではないか。ドイツからはるばる日本へ来たアンナを説得して帰りの切符を買って1ヶ月後に は帰したわけだが、アンアを生涯忘れることはなく、悔恨の念を抱きながら生きたことだろう」という。その証拠に鴎外は結婚1年で「舞姫」を書き、親の決め た相手とは別れた。そして日露戦争従軍中に書いた扣鈕という詩はその悔悟の念を吐露したものだろう。

扣 鈕 (ぼたん)


                 南山の  たたかいの日に
                 袖口の  こがねのぼたん
                 ひとつおとしつ
                 その扣鈕(ぼたん)惜し

                 べるりんの  都大路の
                 ぱっさあじゅ 電灯あおき
                 店にて買いぬ
                 はたとせまえに

                 えぽれっと  かがやきし友
                 こがね髪   ゆらぎし少女(おとめ)
                 はや老いにけん
                 死にもやしけん

                 はたとせの  身のうきしずみ
                 よろこびも  かなしびも知る
                 袖のぼたんよ
                 かたはとなりぬ

                 ますらおの  玉と砕けし
                 ももちたり  それも惜しけど
                 こも惜し扣鈕
                 身に添ふ扣鈕
 

刺繍用型金は当時女性が刺繍をするとき、この金型を布の上に置き、色素でマークし、刺繍をしたもの。恋人のイニシャルを作り、相手に金糸の刺繍をしてハン ケチ入れとして送った。この金型にアンナの父が穿ったと思われる「W」「B」「A」「L」の組文字があった。横浜から帰国するとき不要となった金型を鴎外 に記念に残したものらしい。アンナが金色の糸でRMと刺繍したハンチ入れも森家にはあったという。

Aエリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト説:ベルリン在住のライター六草(ろくそう)いちかがドイツ教会公文書館で発見したシュチェチン(現ポーランド)の聖マリア教会の教会簿にの洗礼記録に記録されていた。乗船名簿に一致し、来日時21才。帰国後は帽子デザイナーになった。六草いちかが「鴎外の恋 舞姫エリスの真実に」講談社刊にまとめる。

2012/11/6の朝日によればベルリン在住の作家、六草いちか氏の調査によればエリーゼ・ヴィーゲルとは1905年に38才にしてポーランド出身の商人と結婚し、夫は1918に死亡。未亡人として86才のときベルリンで死亡。

B年上のユダヤ人エリーゼ・ワイゲルト説

新渡戸稲造(一校、東大、東京女子大):メリー・エルキントン(クエーカー教徒)

鈴木大拙:ベアトリス・レイン(仏教の研究の同士)

野口英世:メリー・ダージス(米国、野口の精神的支え)

高峰譲吉(タカジャスターゼ):キャロライン・ヒッチ(ニューオーリンズの令嬢、実家が譲吉のビジネスを支える)

松平忠厚(上田藩主の弟でブルックリンブリッジの設計し米国で死ぬ):カリー・サンプソン(米国)

長井長義(日本薬学の祖、エフェドリンの発見):テレーゼ・シューマッハ(ドイツ人、日本女子大学と雙葉学園で教鞭を執った。)

新島襄(同志社):八重は日本人だが、戊辰戦争当時、会津の鶴ヶ城に篭って官軍に向け砲撃の指揮をとった烈女。新島襄はこの日本女性らしからぬ性格が気に入っていたという。

江藤俊哉:アンジェラ(ヴァイオリニスト)

Rev. November 6, 2012


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