メモ

シリアル番号 表題 日付

1162

善白鉄道

2007/10/24

子供の頃、長野市の西側を流れる裾花川の元市営プール(現山王小学校)に水泳に出かけた折、プール脇に廃鉄道の路線の跡らしい土盛りが石垣、橋脚などがあったことを70才に手が届く歳になって、中学校時代の同級生の思い出話を聞いているうちに鮮明に思い出した。それは善白鉄道の山王駅跡だったのだ。善白鉄道という会社は今でも運送会社として健在であるという。

調べてみると、善光寺白馬電鉄(善白鉄道)は、文字通り善光寺(長野市)と白馬村を結ぼうと計画された鉄道である。1919年に長野商工会議所を中心に考えられた「鬼無里鉄道」が始まり。しかし、第一次世界大戦後の不況によって、資金に目処が立たずに断念。その後1926年に北陸地方への短絡線となる、長野−北城間に「長北鉄道」を敷こうとした「長北鉄道」が「善光寺白馬電鉄」へ改称され、1936年11月22日に一部開業した。日本車輌製の ガソリン気動車2両と貨車2両を持っていた。しかし太平洋戦争の統制経済の下、1944年1月10日に国からの休止命令により営業中止となった。レールは、撤去され、ガソリンカー2両は、上田丸子電鉄(現上田交通)と滋賀県の江若鉄道(1969年廃止)にそれぞれ譲渡された。戦後、何度か復活運動なども行われ、白馬村や長野市が中心となった運動も行われたが、建設ルートが裾花ダムによって水没することになり、1969年7月9日に正式に廃止となった。結局、開業から7年2ヶ月で休止し、全線開通する事なく消えていった鉄道である。今でも裾花ダムの底には建設途中のトンネルなどが眠っているという。

上田丸子電鉄に譲渡されたガソリンカーは1948年に電車に改造されモハ3120形として使用された。

上田丸子電鉄の丸窓ミュージアム車両館にモハ3120形の写真がある。


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