シリアル番号 | 表題 | 日付 |
119 |
天明の飢饉 |
93/12/1 |
●100万人死亡
●人災
●大阪などの都市で、米切手という手形経済が発達し、信用取引が加熱し、過剰流通性が生じてインフレとなっていた。弘前藩などが借金を米切手でおこなったため金利すら払えない事態となり、不作にもかかわらず、米を大阪に出荷し、弘前藩の農民が多量に死亡した。次年度は農民が多数死んでしまったため好天候であったにもかかわらずさらに飢饉が悪化した。このほかにも冷害に強い赤米の作付けを妨害したため、冷害に弱くなった。冷害にもかかわらず死者ゼロの藩もあった。農民は自衛を覚えたが、藩体制はなにも学ばず、50年後に天ぽうの飢饉を再発させ、徳川藩幕体制の崩壊の遠因となる。
●岩手でも豆を江戸周辺の醤油醸造用に売って藩経済を支えていたため、豆の作付けを農民に強制し、連作障害が生じ、同じように飢饉が発生。
●岩手県には「豆返し」は「かまど返し」より悪い。という言い伝えがある。「豆返し」とは大豆の連作のことで「かまど返し」とは破産のこと。
●NHK番組から。