メモ

シリアル番号 表題 日付

060

地球と共生(米本昌平、三菱化成生命研、朝日新聞)

92/8/5

●生物学の概念が他に転用されるような時代はろくな時代ではない。

●共生とは生物学では藻類と菌類の合体物である地衣類の例に見られるように相手のことを深く知りながら、互いに関心がないかのごとく振る舞う、いらざるおっせかいのない擬制的な近縁関係である。そこでの情報のやりとりは、啓蒙的でも通報でもなく、徹底した情報開示、ディスクロージャーがあるだけである。

●共生的な社会は、集権的なシステムの対極にある。そこでは指令拠点はなく、神経節が幾層にも散らばっている。判断機能が広く分散しているから、権威は存在しないし、必要ともしない。キャンペーンや悪意による作為が作動しにくい社会である。こういう制度的装置を使いきれる社会は、知的で陶治された独立心のたかい人格で満ちているはずである。

●これは、コンピュータの世界でのダウンサイジングがすすみ、巨人IBM が普通の大企業の一つになってしまったことと多分無関係ではない。

●日本は一見共生的な社会への至近距離にあるようにみえながら、情報の創出・発信の現状は逆の極みにある。豊富な情報に溢れているようで、その実、驚くほど均一なものしか流れていない。ばかばかしいほどの冗長度であり、メディアがメディア を引用し、内部反射で量が異常増殖しているだけなのだ。

●地球環境問題が国際政治の主題となったことを喜んでいる人間は、あるいはそこに隠された冷徹な政治的な意図を読み落としているのかもしれない。それは実は地球環境問題とは実は人口問題を盛り付けしなおしただけのものではないか。


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