小話集

シリアル番号 2

書名

商社マンのうちあけ話ー船をかついで世界を駆ける

著者

細木正志

小話タイトル

エレベーターでのご注意

ロンドンで上司のお宅に呼ばれた時の話です。イギリス郊外の合弁会社で奮闘しているHさんが久しぶりにロンドンに来ましので、その晩会社では大変恐い支店長の家に呼ばれた、というよくある話です。

おいしい日本食にアルコールも入って楽しい食事でありました。その支店長の家には彼の息子も日本から来て一緒に住んでおりました。せっかく父親がロンドンに居を構えたので、20代なかばの息子は日本の仕事を中断して渡英し居候でした。英語の勉強を兼ねているとは言え、英国では定職もなくブラブラと過ごしていたわけです。その晩も訪問者と共に一緒に明るく気楽に歓談しておりました。

夜もふけて帰宅時間となりまして、エレベーターホールまで支店長の見送りを受けて訪問者一同はエレベーターに乗り込みました。すぐにエレベーターのドアが閉まりました。アルコールが入って気分の宜しいHさんは恐い支店長の家での緊張が解けたのかホッとして言ったものです。

「どうでもいいけどよぉ! なんじゃぁ あの息子は!将来どうする積りなんだよなぁ!」

その時です。 エレベーターのドアのすぐ向こう側から、静かに支店長の声が聞こえました。

「君達、一階のボタンを押さないとエレベーターは動かないよ」

エレベーターはドアが閉まっただけで動いていなかったのです。Hさんはあわてて一階のボタンを押したのでエレベーターは動き出したのですが、Hさんの酔いは一度に醒めて全身凍りついたのでした。支店長の声がこれだけはっきり聞こえた、と言うことは、Hさんの声も全部ドアの向こう側の支店長の耳に筒抜けだった、ということでした。

(30年前のロンドン支店長と機械部門のHさんが誰か、ご想像下さい)


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