シリアル番号 | 885 |
書名 |
論より詭弁 反論理的思考のすすめ |
著者 |
香西(こうさい)秀信 |
出版社 |
光文社 |
ジャンル |
論理学 |
発行日 |
2007/2/20第1刷 |
購入日 |
2007/08/19 |
評価 |
良 |
光文社新書
文芸春秋で日垣隆氏の書評を読んで購入。
日ごろ文をよく書くが、この本を読むと私の文は純粋論理学の立場からすればほとんど詭弁ということになる。詭弁といえば聞こえが悪いが、レトリックといえば肯定的な感じになる。そしてレトリックなしには人を説得できないのだ。
とはいえ、あることを主張するために根拠を多くリストアップすると一つ一つの根拠が独立していれば正しくとも同時にリストアップすると根拠間で矛盾が生じてかえって説得力を失うようなヘマはしまいと思う。たとえば借りた壺を返さないといって非難された主婦が、「そもそも、私はそんな壺は見たこともない。次に、それを借りたこともない。さらに言えば、私はそれをとっくに返した。そのうえ、それは最初からひびが入っていた」と抗弁するようなことである。
発言者があからさまな詭弁を弄して問いかけてくるとき相手は反論がしやすく、議論の素人は余計な言い返しをして窮地に陥ることがしばしばある。「不当予断の問い」の危険性は、それがあまりに簡単に反論できるがゆえに、勢い込んで、相手にあるべき立証責任を買ってでてしまいかねない。日常議論において絶対にやってはならないミスは、相手に立証責任があるときに、勘違いしてこちらが引き受けてしまうことだ。それは議論の最も強力な武器を放棄し、無防備なまま相手側の攻撃にさらされることを意味する。
具体的に言おう。
「香西のあの下らない詭弁の本を最後まで読んだのか?」
と聞かれたとき、
「私は香西の本が下らないとは思いません」
とは決して答えずに
「香西の本のどこが下らないのですか?」
と答えるべきである。