読書録

シリアル番号 716

書名

八月の砲声

著者

バーバラ・W・タックマン

出版社

筑摩書房

ジャンル

歴史

発行日

1965/6/15初版第1刷
2003/10/25新装版第3刷

購入日

2005/9/28

評価

原題:The Guns of August by Barbara W. Tuchman 1962

息子の蔵書。

1962年のベストセラー。

第一次大戦の展開のドラマ。

この戦争を引き起こした遅れてきたドイツ帝国の誤算の愚かさ、侵略されたベルギー民衆の抵抗、ドイツ軍の報復の残酷さなど、人類がこの世紀で学んだことがこれでもかと詳細に記述されている。

カルタゴ軍の指揮官ハンニバルがカンネーでローマ軍に仕掛けた包囲作戦を意図して、フランスの要塞線を避け、ベルギーを蹂躙して迂回してきたドイツ軍の右 翼が一日40kmという距離を毎日行軍して疲れきったとき、それまでかろうじてさんを乱さず10日間も退却してきたフランスー英国連合軍がマルヌ河で反撃 に転じ、ドイツ軍の進軍を止めることができた。しかし膠着した戦線はその後、4年間にフランスの戦死者と全人口割合は1/28、ドイツのそれは1/32と いう犠牲をもたらしたのだ。

ドイツが短期決戦で勝利を逃した原因の一つは中立国ベルギーを通過するときに思わぬ抵抗を受けて兵力の一部を失ったこととロシアとの東部戦線に西部戦線か ら2個軍団を割いたことにより、マルヌの会戦では兵力不足となっていたためである。戦いの鉄則である兵力の集中を守らなかったのが敗因である。

ドイツがマルヌ川を 越えた1914年9月5日はフランス建国の故地ソアソン、ランスは無論ドイツ軍の占領地に入っていた。ドイツ軍の最右翼のフォン・クルック指揮下の第一軍 はドンペリのオービエールの南にあるマルヌ川を越え、エペルネを通過し、プチ・モラン川に達していたのだ。これに対し、フランス第5軍がセザンヌの北まで 退却し、6日に反撃に転ずるのである。

フランスが反撃に出られたのも第五軍の司令官だったランルザックが無駄な抵抗をせずに撤退に撤退を重ねてフランスの左翼を救ったと後に再評価されレジョオン・ドヌール大勲章を授与されるのだが、彼の軍がマルヌ川を越えた日に彼の名はタルペイヤの岩に刻まれることになったのだ。

この本は前半の「マルヌの戦い」が中心で後半の1916年7月にはじまった第一次大戦最大の死闘「ソンムの戦い」はでてこない。一連の戦闘でイギリ ス軍498,000人、フランス軍195,000人、ドイツ軍420,000人という膨大な損害を出した。2016/7、エリザベス女王出席の100周年 記念法要が営まれた。一連の戦闘でイギリス軍498,000人、フランス軍195,000人、ドイツ軍420,000人という膨大な損害を出した

名言の引用多数、Quotation Serial No.9959969979981014

Rev. 2016/7/4


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