読書録

シリアル番号 1377

書名

くれないの武士の祈り 日本随筆紀行-9

著者

川端康成、高浜虚子、小林秀雄、永井龍男他多数

出版社

作品社

ジャンル

随筆

発行日

1986/8/10第1刷

購入日

2019/11/24

評価



加畑氏の見舞いの差し入れ。

著者は大作家のためそれぞれが独立の作品となっている。

小林秀夫の「鎌倉」では鎌倉に多い禅寺の思い出をかいている。特に東慶寺は そもそも北条時宗の夫人が東慶寺を設立した駆け込み寺が明治までつづいた。禅寺の仏。お弔い方はさっぱりしていて鐘、太鼓、銅鑼を無造作に鳴らし、やっと くたばったか、ご苦労だったと言ったことをとなえておしまい。小林は東慶寺の井上住職が縁切りの寺法はよく検討されていると感心している。井上住職 には世話になったが、もう亡くなった。

中村光夫の「鎌倉に住んで」では西洋では古い建物が消えてしまっている。西洋では木造しかなかったからでもない。古い木造だって残るものだ。それがすっか りとないのは残すもりがない文化だったためであろう。関西には結構木造建築はのこっている。なでなら中国の文化も残す文化をまねただからだ。ところが鎌倉 の人間は権力は大きくとも幕舎の延長上の発送だったのだろう。長谷の大仏が典型ではじめは建物のなかにあったが、津波で壊されたのちは露座の仏のままにし たものも同じ発想で、このほうが美しいと感じたからだろう。

大仏次郎の「山内雑感」で鎌倉時代のメーンストリートは七里が浜から極楽坂を通るものであったという。山内が使われるのは横須賀線ができた明治以降。


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