読書録

シリアル番号 1236

書名

国家と官僚

著者

原英史

出版社

祥伝社

ジャンル

政治学・地政学・行政学

発行日

2015/4/10第1刷

購入日

2015/07/06

評価



著者は東大法学部卒、経済産業省役人、公務員制度改革担当大臣補佐官をしたのち独立。政策工房代表取締役。

世界ガバナンス指標(Worldwide Governance Indicator)によって日本政府を格ずけすれば、有効性が14位でドイツ、アメリカ、イギリスより上。汚職につては16位でドイツ、イギリスより 下。法の支配は23位でドイツ、アメリカより下ではあるがまあまあ。

問題は規制の質で36位となり、先進国中最下位。これでは新規産業が生まれにくい。いわゆる岩盤規制というもので電力市場、医療、農業がその典型例。

安倍政権はようやく電力事業を自由化したが、腰砕けになるかも。その理由は族議員+官僚+既得権業界の「鉄のトライアングル」iron triangleがあるため。ここにしばしばマスコミが加わる。

憲法第15条第1項の「公務員(public officials)を選定し、およびこれを選定し、およびこれを罷免することは、国民固有の権利である」としている。

国家公務員法では公務員の定義は大臣+大使+裁判官+裁判所職員+国会職員+自衛官+一般職総計64万人となっている。

問題は国家公務員法で定義する公務員は憲法のいう国民が選定する公務員は大臣しか該当しない。ここから日本の国家公務員は国民の利害を代表しない組織となっていることが分かる。(憲法違反ではないか?)

薩摩藩や長州藩の藩閥による情実人事を配するために伊藤博文が帝国大学という官吏養成学校を作った。そして帝大法科・文科卒は高文試験免除とした。この高文は今のキャリア組になり、たとえば財務省の「テゾリーナ」はキャリア専用と認識されている。

マックス・ウェーバーは官僚制の合理性を強調したが、実際には目的の転移(手段の自己目的化)が生じて合理的ではないことになる。

官庁の官僚は自分の親分は大臣とは考えない。事務次官こそが自分のボス。ようするに内閣が日本国政府の経営者として機能していない。


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