読書録

シリアル番号 1150

書名

インドカレー伝

著者

リジー・コリンガム

出版社

河出書房新社

ジャンル

文化論

発行日

2006/12/30初版

購入日

2013/07/07

評価



北ラス会がカレー論争で盛り上がっていたころ、加畑氏にいただいた本と記憶している。少し余裕がでたので手に取る。

カレー料理はインドのオリジナル料理とおもっていたが、そうではないという。2つの出来事がインド食文化に恒久的な影響をあたえたのだという。胡椒は東南アジア全般に栽培された植物であるが、唐辛子は新大陸原生植物だ。

@1498年にヴァスコダ・ガマがインド航路を開拓したこと。唐辛子は米国大陸の植物でコロンブスがヨーロッパに持ち帰り、ポルトガル人がインドに持ち込んだ。

Aその28年後にムガル帝国の初代皇帝バーブルが北方からインドを侵略したこと。ムガル初代のバブールはチンギス・ハーンの次男チャガタイを祖と するモグーリスタン・ハン家のユーヌスの娘クトルグ・ニガール・ハーニム(英語版)を母とするテュルク・モンゴル系の遊牧貴族で、彼が現在のアフガニスタ ンからインドに移って建国した。肉をヨーグルトにまぶして焼く料理はイラン料理の典型。

そしてカースト制と食物は密接な関係があることが明らかにされる。

チキンティッカ・マサラの レシピがでてきたのでさっそく挑戦。ヨーグルトを主とするマリネに鶏肉を一晩つけて、オーブンで焼くので1昼夜かかる。ニンニクをレシピ通りつかったら、 強烈なにおいが家中にこもり、なぜ英国人はインド人に家を貸さないかよく理解できた。ティカとは切るという意味。ヨーグルトを主とするマリネを使うりょう りなのでムガル帝国の遺産ということになる。

ヴァスコダ・ガマがカリカットに上陸してから1世紀後、オランダ人のヤン・ハイヘン・ファン・リンスホーテンがゴアに上陸した。かれがみたポルトガル定住 者はインドの習慣を受け入れて、毎日風呂にはいり下着を交換していた。当時のヨーロッパでは下着を帰る時、体をふくだけで、風呂にははいらなかったからゴ アのポルトガル人の方が清潔な生活をしていたことになる。

ポルトガルのインド総督、指揮官、官僚は3年の任期中、蓄財して帰国した。兵士、船員は独身の失業者、犯罪者であったから現地妻を娶り、土着した。こうし てポルトガル定住者は食べ物や生活習慣含め現地化したわけである。残りは宣教師たちだったが布教に成功したとは言い難い。商取引と金融はインド人に依存し たからその経済的基盤は脆弱だった。結局英国にしてやられる。

ポルトガル人がゴアで作った料理ヴィンダルーが 紹介されていた。唐辛子を沢山つかうのでこれはコロンブスとヴァスコ・ダ・ガマの土産だ。牛肉を2時間も煮込むのは、殺したばかりの肉は硬いためである。 英国では殺した動物は数日間そのまなに放置したが、インドではその日のうちに料理しなければならなかったためである。英国で人気が高く、次はこれに挑戦し よう。

英国式カレー、ジャガイモのインドへの浸透、と英国人が紅茶をインドにもたらしたいきさつなども詳しく解説。

日本人のカレー好きも紹介され、新宿の中村屋のラース・ビハーリー・ボースも詳しく紹介されている。スバス・チャンドラ・ボースと混同することもしていない。

Rev. July 17, 2013


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