読書録
シリアル番号 |
1143 |
書名
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インサイドインテル
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著者
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ティム・ジャクソン
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出版社
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翔泳社
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ジャンル
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ビジネス
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発行日
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1997/12/25第1刷
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購入日
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2013/05/02
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評価
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優
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原題:Inside Intel by Tim Jackson
鎌倉図書館蔵
いささか古い本だが、歴史となったインテルを振り返るのも意味があろうかと借りる。
帯「には2流だが、競争相手を壊滅キャンペーンを繰り返し退職者への脅しを繰り返した。
日本とのメモリチップ競争にまけたインテルはかえってCPUに集中できるようになった。インテルの強さはx86アーキテクチャという標準である。そして工場はアイルランド、イスラエル、フィリピンにある」とある。
この本はインテルの協力なしにかかれた。したがって主としてインテルをやめた人のインタビューが情報元のため、ネガティブな印象がある。それでもインテル
の内部状況が非常に詳しく記述されている。無数の逸話が紹介されている。インテルの体質を作ったのはアンディー・グローブだ。MS-DOSの名称の由来で
ある。Quick and Dirty Operationg System(Q DOS)だったという。
創業者は集積回路の発明者のロバート・ノイス(物理)、ゴードン・ムーア(化学)。そしてアンディー・グローブ(化学工学)は初期にやとわれた社員。ロ
バート・ノイスやゴードン・ムーアはベル研でトランジスターを発明したショックレーとともにベル研をスピンアウトしてフェアチャイルド・セミコンダクター
を作ったといことまでは知っていた。彼らが再びスピンアウトして作ったのがインテルだ。アンディー・グローブはそこで雇われた人間だがしだいに会社経営
の中心人物になる。その手法はコンストラクティヴ・コンフロンテーションでなまくらな人間には耐えられないような環境である。
インテルを育てたベンチャーキャピタリストのアーサー・ロックにAMD
の設立を口説きに来たフェアチャイルドの販売マーケティング・マネジャーのジェリー・サンダースに投資できない理由の一つが「遅すぎる」であり、「わたしは
ずいぶんいろいろな企業に投資してきましたが、失敗だったのは、すべてマーケティング専門家がトップに立った会社でした」であった。
ビジコンの嶋正利(東北大化学卆)が電卓用にと持ち込んだワイヤードロジックCPU+ROMのROMにプログラムを内蔵する構想をより汎用化
しようとテッド・ホフやファジンがマイクロプログラムCPU
(CISC)+RAM+ROM+I/Ocontrollerに発展させてCPUを汎用化した。こうして世界初のマイクロプロセッサが誕生。嶋正利はロバー
ト・ノイスにスカウトされインテルに転職x86アーキテ
クチャが完成した。その後ファジンらCPU開発チームの主力メンバーと共にスピンアウトしザイログ設立に加わった。以後、ブイ・エム・テクノロジー、AOIテクノロジー、会津大学での教職などを歴任した。こうしてインテルのx86アーキテクチャは世界の覇者となった。
インテルはDRAM、EPROMをいち早く開発したが次第に競争に負けるようになる。そこでインテルはCPUに特化する苦渋の決定ししてAMD、
ザイログ、モトローラとの競争に勝って覇者となる。ペンティアムに至るCISCに対しRISCはプログラム作成者が好むチップだがインテルはCISCを守
ることに徹していままできた。ちなみにはネーミングは286→386→486→586=ペンティアムということ。
長精度の除算x/yをSRT法で行った時のペンティアムのバグは除算の近似値の表をチップ上に記録しておき、これを参照しながら誤差がぜろになるまで置き換え計算をする仕掛けなのだが、2048個の数値のうち5個に間違いがあたっため。
2010年になって英国ケンブ
リッジのARM社が原点に立ち返ってRISCチップでインテルのCISC製品をスクラップと化し、携帯端末を制覇し、インテルは参入に失敗。残念な
がら多量生産技術に走った日本のチップメーカーは設計能力もなく、いまや死の床にある。結局日本も先進国たらんとすれば、基本設計能力を磨き続けること
しなないのだ。
フラッシュメモリには2種あるが、両方とも舛岡富士雄(東北大西
沢研卆)が東芝在籍時に発明した。その後インテルの開発により市場に広がった。東芝は舛岡を地位こそ研究所長に次ぐが、研究費も部下も付かない技監(舛岡
曰く窓際族)になるよう、会社から何度も要請された。
研究を続けたかった舛岡は、何とか研究を続けられるよう懇願したが受け入れられず、1994年に東芝を退社した。その後、東北大学大学院や、退官後に就任
した日本ユニサンティスエレクトロニクス等で、フラッシュメモリの容量を10倍に増やす技術や、三次元構造のトランジスタ(Surrounding
Gate
Transistor)など、現在も研究者として精力的に研究活動を行っている。舛岡は自身が発明したフラッシュメモリの特許で、東芝が得た少なくとも
200億円の利益うち、発明者の貢献度を20%と算定。本来受け取るべき相当の対価を40億円として、その一部の10億円の支払いを求めて2004年3月
2日に東芝を相手取り、東京地裁に訴えを起こした。2006年7月27日に東芝との和解が成立、東芝側は舛岡氏に対し8700万円を支払うこととなった。
このように日本の企業は基本回路開発技術者を追いだし、製造業に特化して墓穴を掘った。
Rev. May 16, 2013