萩和会

2017年春

2017/2/14  大学の同窓会に出席。癌手術,急病,原因不明の発熱で入院中とかの欠席者が増えた。

クレハ化学で一生を送ったYと卒業後初めて会話した。(彼は軽井沢で4年前に会ったというが)私は人生で3回他社から移籍してくれないかと誘われたが、すべて断った。

勧誘−1は大学の先輩でMIT留学帰りのG氏にフランスから技術導入したパークロルエチレン・プラントの試運転後「くれは」に残れと口説かれた。私は生産会社でプラントを守る退屈な人生を送りたくなかったため、 丁寧に断って東京に帰った思い出話をした。Y氏は目をむいて彼にとってはG氏は神のような存在で無視されるのが当然、断るなんて考えもしないことだとビッ クリしていた。実はMIT留学帰りのG氏は別の千代田の人間も口説いていたことが分かった。

勧誘―2はキリンビール。バイオ薬品工場を完成した時点で、着目されたらしい。後で気が付くとキリンビールのお歴々の直接の面通しがあったが、気は動か ない。彼らがうまいと自賛する新製品ビールも大したことないため、このようにうわべを取り繕っている会社はいずれダメになるだろうとおもった。その予感は 正しかった。

勧誘―3は北京で石油生産設備の勉強会を主催していたとき、急遽、帰国命令を受けて万里の長城の観光もせず帰国した。なんのことかと思って駆け付けると ニューヨークに飛べという。他の2名とウォルドーフアストリアホテルのスイートで上野製薬の社長夫妻の品定めを受けた。後日、これを指揮した社長から、私 が選ばれたが、断ったという。それならば急いで帰国させることもなかったのにと思う。

私の判断は今でも正しかったと思っている。

日東化学でガラス繊維をつかったプリント配線基板製造技術を開発したTと日揮にはいったOが隣の席であった。学生時代は、私と、Tと日揮にはいったSの3 人で週1回、仙台の繁華街の飲み屋で学割で飲んでいた思い出話を話したところ、日揮に入って真面目一方で流動接触装置を作りまくったOがそんなこと知らな かったとビックリしていた。Sはシステム分野に入っていたようで、たまたま訪問した東大の研究室で偶然会ったことがある。その後は年賀状交換しているだ け。今になってみるとこの3人組は飲むことだけが接点で、その飲み会のリーダーはSだった。

日揮が建設業者になっている日立が英国に建設する原発プロジェクトに対する私の批判についてOに聞いたところ、同意見だという。

住友化学にいたTに、日本の家電産業が中国に負けたのは中国の安い人件費のためだが、化学産業は投下資本の償却が中心のため人件費の比率が低く、今まで生 き残ってきたのではと意見を聞くと、その通り、しかしタダのガスを原料にできるサウジの石化産業には太刀打ちできない。そろそろ限界だという。

三菱化学のMも三菱系の化学会社はすべて合併して組織を切り捨てて生き残ってきたが、もう合併できる会社もない。茶坊主ばから増殖してもう限界だという。

新日鉄に入ったのはFだが、鉄も中国の過剰生産とダンピングで苦しんでいる。合併による縮小均衡でまだ頑張っている。でもどうなるのだろう。

石油精製企業に入ったものは大勢で皆役員か社長になったが、合併と縮小均衡で青息吐息。しかしエネルギー基幹産業のためインフラとして完全に消え去るとこはなく、ゾンビとして生息している。

February 17, 2017


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