一エンジニアの見た核なし核抑止力

原発事故はべき分布でスケール・フリー

エネルギー資源に欠く日本が期待を寄せてきた原子力も結局人知では御せない代物であり、一旦事故が発生すれば、広大な土地が居住不能に陥 り、結果として家と職業を奪い、膨大な難民を生むことを世界の人々が再確認した。別に原子力だけが御せないものではなく、化石燃料の燃焼エネルギーを利用 する火力発電にしろ、交通機関の燃料にしろ、燃料を精製する石油精製工場にしろ、最大の注意を払っても事故は発生する。この損害を負った者を救済するため に保険制度が生まれた。事故は正規分布になるから平均値から保険料が計算できる。こうしてその事故リスクは社会に受容されてきた。ところが原発事故の被害 額とその事故の発生確率の相互関係は地震、戦争、ダム決壊事故と同じくべき分布になる。すなわち被害額には正規分布のような平均値はなく、長いロングテー ルを持つため、スケール・フリーとなり、まれではあるが損失は法外な額になることがある。これは保険でカバーできない巨大事故がまれではあるが発生すると いうことを意味する。そのため、通常の保険には地震免責条項や戦争免責条項と同じく原発免責があるのである。地震保険はこの損失をカバーするために、積立 金を積み立てた人には、建物の時価額の30〜50%を限度として補償する。もし積立金が不足したら、国家が税金で残りを支払うという公的保険である。東日 本大震災でこの積立金が半減し、次の震災にそなえ、保険料を2-3割増やさないといけない事態になっている。


原発事故と賠償責任

米国では1957年9月にプライス・アンダーソン法ができた。これは電力事業者の原発事故賠償責任を約102億ドルを上限とする有限責任と し、残りは国家が補償するというものである。こうしないと米国の電力経営者は原発を採用しないと危惧されたため、モラルハザードを生むと批判されながら制 定されたのである。にもかかわらず、1978年のスリーマイル島事故以後30年間、米国では原発の新設はなかった。米国には石炭とか天然ガスという競合燃 料が豊富にあるため、経営者はリスクをおかして原発に投資する必要はなかった。日本では1962年に施行の事業者だけが無制限の賠償責任を負うという「原子力損害補償法」ができた。電力会社が民間保険会社と損害賠償責任保険契約を、 政府とは原発1基当たり1,200億円の損害賠償補償契約の締結をすることを義務付けている。電力各社はこの政府保証のために国に1,200億円の供託を している。そして民間保険と政府保証がカバーできない部分に関し、電力会社が無限の賠償責任を負うという建前になっている。とはいえ原子力事業者が自らの 財力では全額を賠償できない等の事態が生じた場合は、国が原子力事業者に必要な援助を行い、被害者救済に遺漏がないよう措置すると実質プライス・アンダー ソン法と同じことになっている。民間保険は日本原子力保険プールが引き受けているが、確率がべき分布にしたがう場合、スケール・フリーのため、事故が発生 するたびに分担金が上昇する。そしてついに2011年3月11日の福島のメルトダウン事故以降の民間保険は日本原子力保険プールは引き受けないとした。 10倍の保険料を支払えば引き受ける外資系保険会社とも条件は合わず、無保険となっている。民間保険も政府保証も焼け石に水で東電は福島事故の10兆円に 達する賠償責任を背負っている。建前は無限賠償責任という縛りがあっても日本の電力経営者は原発に投資し続けた。最後は国が助けてくれるというモラル・ハザードに陥っているからで、化石 燃料資源を国内に持たない日本の電力会社にとって原発はそれだけ魅力的にみえるようだ。福島事故で明らかになったように、日本に多く採用されている沸騰水 型は加圧水型に比べ、格納容器の封じ込め性能が低く、放射能が漏れやすい。これを知った規制委員会は最少の改造で再稼動できるようにフィルタード・ベント の追加を再稼動の条件とするようである。しかしフィルタード・ベントを追加してもキセノンを封じ込めるのは困難であるし、その他の放射線源をどのくらい封 じこめることができるか、あらかじめ実験ができないからわからない。在来型の沸騰水型炉をそのまま再稼働すると、福島と同規模の事故は今後25年間にもう 一度有り得るということになる。これが規制委員会の基準でどのくらい改善されるかは人間を含む複雑系で本当のところは分からない。チェルノブイリ級も確率 は低いが有り得るということだ。


発電と送配電分離と電源の多様化

今後日本の産業が国際環境で競争力を維持してゆくためには電力の自由化をして競争原理を持ち込まねばならない。送配電網まで競争させること は二重投資になってかえって無駄を生じるから、発送電は分離し、小売りも自由化するというのが世界の潮流である。原発の発電コストの大部分は設備の償却費 である。したがって発電会社は規制委員会が課す最低限の安全基準を守りながら、事故再発のリスクを勘案して既設原発を再稼働するか廃炉にするかの決定をし なければならない。いまのところ、日本の電力会社の経営陣は規制委員会の最低限の条件を満たすため、追い銭を投じてでも再稼働の判断をしそうな雰囲気であ る。プロジェクト寿命を全うしていない発電所の投下資本回収のためにリスクを冒すということは理解できないでもないが、償却済みの古いプラントまで再起動 しようとするのは、まことに不思議な光景だ。突然の燃料ガス需要増に誘発された燃料費高騰で引き起こされたキャッシュフロー不足に幻惑されてこう考えるの だろうが、倫理観はどうなっているのだろうか?MIT教授のナシーム・ニコラス・タレブは福島事故の前の2009年、ダイヤモンド社刊の「ブラック・スワ ン」で日本の文化はランダム性に間違った対応を していて、運が悪かっただけでひどい成績が出ることもあるのがなかなかわからない。だからボラティリティ(価格の対数差分の標準偏差)が小さいことを好 み、大きな損失がでるリスクのある戦略を採用する。あそこの人たちはボラティリティをきらい、代わりに吹き飛ぶリスクをとっていると書いている。化石燃料 は価格変動が激しく、たしかにボラティリティ―は大きいので電力事業者は嫌い、どうしても原発に依存したがるという性向が大きいと言える。福島事故が発生 した時、たまたま米国でシェールガスが安価に生産できるようになっていて、中東のLNGがだぶついていた。このおかげで原発停止による電力 不足分をLNG発電で補填できたのである。ところが事態の進展が急であたったため、高い買い物をしてしまった。これは今後の交渉で下げて行く努力が必要と なる。そのためには競合燃料をいくつか用意して、高いものは使わないという体制を作らねばならない。米国のシェールガス生産の成功でだぶついた中東産 LNGがヨーロッパに流入したため、ロシアはヨーロッパ向けのガス輸出市場を失なった。そこで日本への輸出に活路を開きたいとおもっている。中東産の LNGの代替供給源としてロシア産の天然ガスが安ければ購入すればよい。米国が中東のエネルギー依存から脱すればイスラエルが気がかりとはいえ、シーレー ン防衛に熱心ではなくなるだろう。日本は資源の多様化を行っておけば中東からのシーレーンが戦争などで突然閉鎖された時の安全保障にもなる。オーストラリ ア、パプアニューギニアなどの代替LNG開発に積極的に投資することもすべきだろう。LNG価格高騰は他の安価な燃料である石炭の利用によっても緩和でき る。原発推進のために利用された人為的温暖化説に自縄自縛になっているようではだめだ。日本の官庁の縦割りが障害となって石炭発電が環境省によって阻害さ れるという構図になっている。米国、中国、ドイツの電力の半分は今でも石炭由来なのである。日本だけ他の先進国より石炭火力の比率が低くなければいけない 理屈がわからない。無論、原発の再稼働も価格交渉の切り札の一つとなる。事故リスクと天秤かけて是是非非で交渉すればよいのではないか?


安全保障としての再生可能エネルギーの開発

化石燃料のシーレーンが戦争で途絶えた時のために、原子力をつかうといっても電力の30%しか賄えない。電源の多様化のためには再生可能エ ネルギーを高コストであろうと開発しておかないと日本の安全保障はおぼつかない。フィードインタリフ制のおかげで2012年には住宅用太陽光発電の導入量 はほぼ1ギガワットとなり、原発1基分となった。これからも伸びると予想される。しかし風力、地熱、バイオは広域系統運用機関の未整備、農地法、公園法の 制約が多く、普及はいまいちである。原発が再度の事故で全面的に止まり、化石燃料が地域紛争で入らなくなるリスクを考えれば、日本は独自に大きなポテンシャルのある地熱発電、海上風力、海流 発電などの再生可能エネルギーを開発し、不安定化した他国に頼らないエネルギーを確保する必要がある。地熱発電は地下水があって、温泉が湧くような自然条 件にたよることなく、積極的に高温岩体に水を注入して、熱回収する方式を開発しなければならない。地下1,000−4,000m にある乾燥した高温岩体に立て坑を2本堀り、その間を高圧水で破砕し連結する。そして一方から水を注入するともう一方から温水がでてくる。この熱を回収し てバイナリー発電する。排水は川に捨てず、再注入するため、公害は一切発生しない。そして冷水塔をヒートシンクにせず、空冷式にすれば、湯気もでず、ビ ジュアル公害も出ないから国立公園内に建設しても何ら問題ない。古い技術を前提とした規制を緩和しないとこの構想の実現は不可能である。この地熱はウラ ン、トリウム、カリウムなどの崩壊熱のため無尽蔵にあり、枯渇するおそれはないのである。海流発電機は小笠原列島にそって設置する。そして島の周辺の海域での風車発電も組み合わせる。小笠原諸島から直流送電で送電することも考えられるが何しろ 長距離である。そこで電力をアンモニア燃料に変換して船で運ぶことも考えられる。原子力はいくら規制委員会が頑張っても事故をゼロにできない。化石燃料も 有限である。ならば人の住まない小笠原諸島の無人島に原子炉をおき、発電+水電解ないし、熱化学反応で水素を製造し、これをアンモニア燃料に変換すること だって可能である。


使用済み燃料の最終処分

原発は事故リスクだけではない。使用済核燃料の最終処分という問題の解決の糸口もつかめていない。だれも私有地の地価が下がることを喜ぶ人 はいないから使用済核燃料の最終処分地を民主的政治が決めることは困難である。これは米国も同じだ。オバマ政権がネバダ州のユッカマウンテンに処理場を作 る計画を打ち切ったことから、控訴裁判所は、最終処理場が建設されると見るべき「合理的な保証」があるとした米原子力規制委員会(NRC)の見解を退け た。また、使用済み核燃料は原発の認可期間を超える60年間にわたり、プールあるいはキャスク(使用済み燃料用容器)の中で安全に貯蔵できるだろうとする NRCの主張も認めなかった。この判決を受けて2012年8月7日、NRCは連邦控訴裁判所の判決で提起された使用済み核燃料政策の問題への対応ができる まで、原子力発電所建設の認可手続きを停止すると発表した。対応は2014年9月までに策定するとしている。この決定によって稼働中の原発は影響はうけな いが、新規建設はこの問題が解決するまで不可能となった。核拡散防止のため、核兵器を持たない国で原子力の平和的利用をしようという国は米国と二国間原子力協定締結をすることになっている。日本はこの協定に準拠 し、使用済み核燃料の再処理を青森県の六ヶ所村で行う計画をたて処理プラントを建設したが、技術的トラブルでいまだ稼働していない。プルトニウムを回収し てMOX燃料とし、核分裂物質はガラス固化体にし、残りのウラン238はウラン235再濃縮原料として保管することになっている。政府は六ヶ所村の再処理 プラントを利用して使用済燃料の最終処分問題の解決を先送りしている。再処理してもガラス固化体の最終処分場が無いのは同じである。ということは六ヶ所村 のコンクリート製の倉庫にガラス固化体が最終処分場が確保されるまで60年間、多量に保管されることを意味する。再処理される前の使用済み燃料は各原発の プールに少なくとも3年間は冷却保管され、その後はキャスクに移されて、そのまま各原発にある保管庫に中間貯蔵されることになっている。しかし、その保管 倉庫の容量は今後数年分しか確保されていない。そこで青森県に中間貯蔵庫を増設して使用済み燃料を持ち込み、原発の運転継続を可能にしようとしている。だ が米国と二国間原子力協定締結改訂期限は2018年にくるのだ。プルトニウムが溜まり続けるなら核拡散防止の目的からはずれると継続は困難になるのではな いか。現に韓国は再処理を許されてはいない。


原子力施設を狙うテロ

さてテロも小規模な戦争活動と認識すれば、これもべき分布となる。どうりで小規模テロは頻繁に生じているわけだ。グローバリゼーションによ り、世界は一つとなり、貧富の差は大きくなっている。こうして貧しいものが、最低限の分け前を要求するテロはますます増えている。特に資源国の資源を持ち 去る豊かな先進国はそのターゲットにされる。3,000人の命が奪われたニューヨークの9/11事件はその最大のものである。2013年2月のアルジェリ アのイナメナスで発生したテロ事件では日揮とBPの38名が犠牲になった。これはアルジェリアのゲリラが日本と英国をターゲットとしたゲリラ戦であったと みなしうる。今後予想されるもっとも怖いテロは原発ないし、この燃料再処理工場の中間貯蔵施設あるいはガラス固化体を航空機または可搬式ミサイルで攻撃さ れることであろう。ヤマハ製の無線操縦ヘリは業務用に開発され、危険な農薬散布などに実用化されている。映画の空撮用にも使われている。これにTNT爆薬 を50kg程度乗せて原子力発電の冷却水系の電源盤や使用済燃料プールを攻撃すれば福島の事故は再現できる。なにもミサイルなどなくともよい。原発や再処 理工場は地下要塞化することはできず、空からの攻撃には脆弱である。電力を絶てば、使用済燃料の崩壊熱でメルトダウンが生じ、放射能は周辺に拡散する。最 少の活動で膨大な損害を与えることができる、ゲリラにとって最も有効な方法となる。これは軍事行動や警察行動でも防止できない有効な攻撃とみなされる可能 性がある。アルカイダがその気になったら、大変だなとおもう。日本は自動小銃をもった警察官が数人駐在する程度だから手りゅう弾を使うグループにアタック されたら簡単に制覇される。ターゲットは送電線、非常用ディーゼル発電機、バッテリー室、スイッチギア、格納容器ケーブル貫通部、中央操作室、BWRの制 御棒挿入用スクラム弁など。BWRの燃料プール、 アクセスルートは換気口、排水口、燃料交換口、ベントスタック連結ダクト等だろうか。特にBWRが脆弱。アルカイダ系テロのほかに007のような国家の秘 密機関による原発破壊工作、それから米国がパキスタンで行っているような正規軍が航空機、クルーズミサイル、無人機を使って攻撃する原発破壊工作が理論的 には考えられる。なぜか規制委員会はこれらの構造に全く関心ないよ うだ。津波対策のみで、もぐらたたきそのもの。想像力の欠如だ。このような攻撃から安全であるためには、全ての原子炉を廃炉にし、再処理プラントを解体撤 去し、すべての放射性廃棄物を安全な地下に保管する以 外方法はないのではなかろうか。ドイツはこの有利さを手にしつつある。台湾も脱原発すれば同じ立場になる。もし中国が台湾を攻撃すれば、台湾は東海岸の花 蓮市の裏山の石灰岩にある秘密空軍基地の地中格納庫から戦闘機が出撃する。そのために山裾にそって2,500m程の滑走路が1本ある。すぐそばの新しくで きた花蓮機場とも道路や河川をまたぐ立体ランウェイでつながっている。この戦闘機が離陸し、いつでも対岸の原発を通常兵器で爆撃できる立場にたてるのだ。


核なし核抑止力

ゲーム理論が教えるところでは核抑止力は非協力ゲームのナッシュ均衡でこれは同等の痛手を相手に与える報復力をもたないと成立しない。そこ で核を持たない国は持つ国と相互安全保障協定を締結して均衡が保たれると考える。日米安保がそれだ。しかし、米国の衰退を考えると安保なし核抑止力も準備 しておかねばならない。核武装論はここに発する。実際に日本が核武装できるかだが、核拡散条約の例外として国際的に認められるなら核武装できる。しかしイ ラン、北朝鮮のように国際的孤立化をしてまで持つということは貿易立国の日本では採用できない戦略であろう。そんなことしたら原発の燃料であるウラン 235すら入手できなくなる。では核兵器を持たずに抑止力を持ちうるか?それが実はある。ゲリラと同じく貧者の戦略を採用するのだ。核兵器を持っている国は必ず核分裂物質を毎年、約4 トン発生する原発をいくつも持っている。核兵器は爆発時甚大な被害をもたらすが、数キログラムの核分裂物質をまき散らすだけだからその放射性物質の被害は たいしたことはない。しかし原発1基の核分裂物質は3ケタは大きく4トンはある。そしてトン当たり160エクサベクレル(1018)も分裂物質を含んでい るのだ。かつ核分裂物質の崩壊熱除去のため、数年間は無防備な地上のプールに貯蔵されているのだ。ちなみに宇宙の年齢は1エクサ秒であるから、いかに大き な数字であるかわかる。冷却が完了すればドライキャスクに移され、鉄筋コンクリート製の倉庫に保管される。これを通常爆薬搭載のクルーズ・ミサイルで攻撃 して報復出来る能力を持つことで核抑止力となりうることがご理解いただけると思う。巨大な原子力発電施設を取水設備を含め、地下化することはコスト的に引 き合わない。弱者としてこれを使わない手はない。報復は倫理がないとは批判できない。なぜなら核兵器にはそもそも倫理はないのだから。むろんこの抑止力を 獲得するにはあらかじめ自分の原発を全て廃炉にし、使用済み燃料も通常兵器で破壊されない場所に保管しておかねばならない。米国が衰退して日米安保が無力 化するまでにすればよいことだ。ドイツの脱原発の隠された利点がここにあるICMBの迎撃に失敗し、核兵器が自国領土でさく裂したらこの報復装置が作動す るように設計し、運用するのだ。報復装置は潜水艦と艦対地クルーズミサイルで構成する。米国のように地球の裏側まで出かける目的を持つなら原子力潜水艦が必用だろうが、国土防衛目的なら 日本が得意な非大気依存推進システム搭載潜水艦で充分だろう。そうりゅう型は長期にわたる連続潜航を可能とするスウェーデンのコックムス社のケロシンと液 体酸素を燃料とするディーゼル・スターリング・エレクトリック方式の非大気依存推進システム(AIP)を搭載している。これをプラットフォームにする。 ディーゼルエンジン焼損防止用の窒素ガスはエンジン排気ガスを冷却した後、二酸化炭素は海水に溶かし込んで放流した後リサイクルである。このバッテリーを 容積あたりの蓄電量が大きいリチウムバッテリーにかえるとよいだろう。これに通常弾頭の艦対空ミサイル、艦対地クルーズ・ミサイルを装備すればよいのだ。 韓国は北朝鮮の核実験の直後、射程距離1,500kmの艦対地クルーズ・ミサイルを装備していると明らかにした。国連ルールでは800kmまでと制限して いるにも関わらずである。日本も中国や北朝鮮に過てるシグナルをおくらないためにも早急に艦対地クルーズ・ミサイルを配備する必要があろう。そしてクルー ズ・ミサイルの基盤となる自前のGPS、独自の通信網かく乱技術開発も必須だろう。潜水艦も無人化することも可能だ。潜水艦と艦対地クルーズミサイルは核なし抑止力だけでなく、尖閣列島問題のような領土紛争の抑止力にも使えることだ。


憲法改正論議

そもそも憲法はイングランドのジョン王の横暴な課税を制約すべくシモン・ド・モンフォール議会が王にのませた契約書マグナカルタに由来す る。近代憲法はトマス・ホッブスが描いたリバイヤサン(怪物)たる統治権力を馴致(じゅんち)するための義務規定。または「国民が公権力を縛るルール」 だ。改憲論者はよくマッカーサー憲法といって嫌悪するが、これは地球上に存在するもっとも近代的な憲法で個人を尊重し、多様で相対立する世界観・価値観の 存在を認め、その公平な共存を目指している。これと日米安保と原発により戦後の繁栄を築いたことはまちがい。原発が頼りならないことが判明し、中国が覇権 を要求しだし、米国の覇権が弱まったと言ってこの憲法を改訂するというのは意味がない。「他に適当な手段のない場合」においては、「座して死を待つ」ので はなく、一定の制限の下で攻撃的行動を行うことは、法理論上は認められていると解釈されるから憲法を変える必要もない。むしろ改憲は東南アジアや韓国との 同盟の阻害要因となるし、米国の庇護を求める以上、米国民と同じ価値観を共有することが重要になる。また戦時における国民の基本的人権を制限し、中央統制 を強化する必要もない。改憲論者はただ権力欲の塊のように見える。この権力欲をかなえれば次の戦争になる前に国は破れる。戦争は前述のように技術の戦いで もある。個人の発想が自由にできる社会を築かねばそのような技術は出てこないことは現在の日本の製造業の現状をみれば明らかである。力がおとろえたとはい え復元力を米国に与え続ける米憲法と同じ価値観に立脚する日本国憲法を維持することこそが、日本が米国の大切なことではないか?グロチウスが「戦争と平和 の法」に書いたように憲法の上位にある自然法としての集団的自衛権がある。集団的自衛権行使のために憲法改訂に時間を浪費してい る余裕はない。かってキッシンジャーは日本では国民的なコンセンサスが出来上がって日本が変わるまで15年かかるという「15年の法則」なるものを指摘し た。しかし、そんな時間はないのである。自然法は国民が国家権力の行使に制約を課す目的の憲法の上位にある自然法だから。従ってアメリカの戦争に巻き込ま れないように集団的自衛権の行使を行えばよいわけで何もこれは憲法違反ではない。個別的自衛権も同じく自然法にしたがえばよい。そして憲法で交戦権は国民 のものと明記してるのだから、自衛隊法、国家安全保障法などの周辺法を整備するだけですむ。無論、周辺法整備のとき、ナチに独裁権を与えたような法律上の 過ちはさけなければならない。


ナチに独裁権を与えた全権委任法をくりかえすな

5/2の朝日のオピニオン欄に日本の天才プログラマーでソフトウェア開発会社サルガッソー社長で東大特任研究員鈴木健さんの複雑性の制御法 がでている。要約すると 人間の脳は複雑な世界を複雑なまま理解できない。それでは社会を動かせないので「責任者」という仮構を作り出した。これら代表とか責任という感覚は「膜」 すなわち線を引いて世界を分けるという生命の本質に由来する。生命は細胞膜を作って境界を引き、内側に資源を囲い込む。そして細胞のなかには核があり、そ こに生命の設計情報が入っている。社会制度はこの生命現象の一つに過ぎない。国境は「膜」である。多くの人が有限の土地に住めば縄張り争いが生じ、これを 解決するために国境が生まれる。そして王という「核」が誕生する。 王という小自由度の権力を制御することによって複雑で大自由度の社会全体を制御できるようになった。こうして核によって膜の内側制御できるという幻想が生 まれた。ところが膜と核が結びつくと、資本や権力が横暴なものに変質してしまう。近代の経済システムは私的所有権を認め、資本が資源や労働を組織化し、企 業という膜の中にそれらを囲い込むことによって成立している。 貨幣はこの経済システムの血液だが、もっている人に溜まりやすい。職業政治家は落選すれば生活が破たんするので、影響力を維持するためにウソを言うように なる。というわけで選挙で職業政治家を選ぶという代表民主主義はいまや破綻している。職業政治家に代わってインターネットを使った伝搬委任投票システムを 使って集まった人々から特定の目的に限定した意思決定主体を構築できる。 というものだ。民主党に失望した日本人は自民党をえらんだ。ところが自民党は憲法を国会議員の半分が賛成すれば憲法改訂できるように憲法96条を改訂する としている。これはかってナチに独裁権を与えた全権委任法のような過ちに私には思える。船田元などはまさに大ウソつきのように見える。このような自民党を 支持するとのは第二次大戦に入る軍部を支持したような愚かな行為だ。もし国防上憲法9条の改訂な必要なら、それだけ改訂すればよい。しかし前述のようにそ れさえ必要ないのだ。独裁権を握った自民党は使用済み燃料をどこかの地方自治体におしつけるのだろう。 米国民がなぜ銃規制に反対するかというと政府を信用していない。もし政府が暴走したら、市民がそれぞれの武器を持って集まり自由軍をつくって政府を倒すと いう精神が生きているためだと。なるほど秀吉が刀狩りをしたか理解できた。日本をだめにしたのは秀吉だったということのようだ。


原子力空母を退役させて首都圏を核事故から守る

東京から40km圏の横須賀に原子力空母や基地があるという純技術的リスクをどうするという問題もある。米国の首都ワシントンとノーフォー ク海軍基地の距離は200kmあるのである。明治天皇の玄孫にあたる憲法学者竹田恒泰氏の指摘の通り「原子炉は自国に向けた核兵器」ともいえる。敵国やテ ロリストから攻撃をうけなくとも事故で放射能をまき散らされたら首都圏は壊滅となる。なんのための空母や潜水艦か分からなくなる。しかし日本として安保は しばらく維持しなければならない。唯一の手段はしたがって核抜き核抑止力を持ち、安保がなくても良いシステムを構築することだろう。そうすれば原子力空母 は単なる「張子のトラ」となる。そして原子力空母に退役してもらうのが最善策となろう。主戦場はすでに海から宇宙に移っているのだ。
July 2, 2013
Rev. October 7, 2013

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