なぜ西日本がPWR、東日本がBWRということになっ たか?

グリーンウッド

 


東日本はBWRが主力で西日本と北海道の電力会社はほとんどPWRを採用している。なぜか調べてみた。すると東西の周波数の違いとおなじく、技術をよく評 価しないで手に入るものを闇雲に選んだためと分かった。

周波数

東の50hzは東電が東芝から交流発電機を購入したとき、東芝はジーメンスと技術提携契約があったことが原因。西の60hzは関電が三菱から交流発電機を 購入したとき三菱がウェスティングハウスと技術提携していたためである。このように電力会社が随契で使っていた国内メーカが特定の海外企業とライセンスで 契約で技術が固定していたため である。


PWRが最初に開発され、BWRがこれを追った

原子力を潜水艦の動力源にしたいと考えたリッコーバー提督が安全をとことん考えて原潜ノーティラス向けに1953年に開発したA2WというPWRである。ウェスティングハウスが開発を担 当し た。燃料棒は金属ウランでいまでも米国の軍用PWRは95%という高濃度濃縮の金属ウランを使っている。このPWR技術を米海軍の造船場のある町シッピングポートの原発に転用したものが世界初の商業用原発である。 このようにPWRはBWRに先行して開発された。BWRの開発がPWRより遅れた理由は 沸騰水のボイド効果が反応度に影響あたえて制御できなくなるのではと恐れられていたためといわれる。しかしそれはあまり問題ではないと分かり、アルゴンヌ 研が中心となってアイ ダホの実験場で段階的に大型化して確かめた。この時、制御棒を引き抜きすぎて暴走し、実験炉が空にとぶ爆発事故が発生し、運転員が死亡したこともあっ た。事故は当時は公表され なかった。この事故はべき分布の一つの点としてしっかり貢献している。エジソンとテスラーの直交論争以降の確執以降の天敵となったウエスティングハウスに 商用原子炉で先行されて焦ったGEはポケットマネーで独自にPWRと別の設計思想にたつBWRを完成させた。

PWRとBWR技術の技術移転

BWR技術を手にしたGEは猛然と世界中に売り 込みを図り、日本も例外ではなかった。1958年の岸信介首相の頃、総理官邸で開催された原子力委員会参与会で物理学者の嵯峨根原研副理事長が動力試験炉 導入に関する調査報告をしている。これによると嵯峨根氏はコルダーホール型のガス炉に親近感を持っていたようである。1957年完成のシッピングポートの PWRを見てメル トダウンしやすい金属燃料棒に不安を持ったようだ。ウェスティングハウスやGEが研究中なので商業炉は酸化物になるだろうと予言している。軽水炉のPWR もBWRも本質的な差はないという認識で、当時は燃料交換方式と格納容器の封じ込め性能は気にしていない。そして1963年の池田勇人首相の時、GEはガ ス冷却炉などの自主開発をしりぞけて東 海村に動力試験炉JPDR(Japan Power Demonstration Reactor)として売り込みに成功する。導入時点では燃料は濃縮度4%程度の酸化物になっている。ウエスティングハウスの提携先である三菱とGEの提 携先である東芝の政治力は大差ない。決定に関しては1959年に岸内閣の原子力委員長だった中曽根康弘の政治的な決定に米政府の強い働きかけがあったと考え るのが自然だ。無論米政府を動かしたのはBWRを開発したGEだろう。米海軍がウエスティングハウスだから日本はGEにすべきだというロジックのようだ。自主開発派は辞職し峨根原研所長はサイクロトロン学者として米国に去った。日本原子力研 究所理事長(1959~1964)の菊池正士氏は、「サイクロトロンはわかってもエネルギーをとりだして使う発電装置のエンジニアリングの評価はできな い。 原子力をすこしはわかる物理屋でも、エンジニアリングには、対応できない」と言っている。こうして多くの物理学者は原研から手を引いた。東電はこの国策に 従順にしたがい、吟味する能力もないのでGEのBWRを導入し、1971年に運転開始する。木川田一隆(東大経)社長はGEに逆らうなと社内に徹底したと 聞いている。こうして関電以東の東日本の電力会社と中部電力、北陸電力、中国電力はBWRとなったのである。必ずしも周波数とは一致しない。

 ところが関電は政府や原研の思惑など無視して独自にPWRを採用して1970年に美浜で運転開始する。その採用理由を書いた文書は見つか らない。私は関西電力の当時の社長であった芦原義重(京大学工学部電卒)の リーダーシップで導入したため、さぞかし深い理解があったのではと見当をつけ調べた。MHIを引退した寺沢廣一氏 が自 分のブログに『聞いている話では関電がPWRを選定した中心に芦原義重会長(当時)が居たことは事実。彼は京大の電気の出身で、今思えば正しい選択をした と思っている』と書いている。ところが、いやそんな高尚なものではない。関電は長年三菱から発電装置を購入しつづけていた。そしてたまたま三菱がウェス ティングハウスと技術提携をしていた。原発の選定も検討したというより馴染みの業者が薦めるものを深い考えもなく選んだという見解が聞こえてきた。別の情 報源が1993年に関電OBから聞いた話として「関電がPWRを選んだのは東電のBWRに対抗するのが基本的な線であった。無論、PWRの方が実績が多くより安 全であること、Westinghouse-MHIの売り込みがあったことも影響しただろう」というものであったという。そんなところであろうか。こうして西日本の関電、四 国、九州各電力と北海道はPWRとなったのである。すべて60Hz帯、すなわち三菱の牙城である。

PWR型はウェスティングハウス以外にもコンバッションエンジニアリング社がCE型PWRを開発しているが、大差ない。そして日本には導入されていない。原子炉冷却系構成はWH型PWRとは異なり、蒸気発生器2基と一次冷却材ポンプ4基からなる2ループである。蒸気発生器ではWH型とCE型とは逆U字管式である。

近年希土類のガドリニウムの酸化物を添加して燃焼度を向上させた燃料が大飯、玄海、伊方で行われている。

軍用PWR炉

シッピングポートの世界初の原子炉は軍用の単純な転用であったという。そのため高濃縮度の金属ウラン燃料棒をつかっている。そしてそのウラン235の濃縮 度は93%であった。現在でも横須賀を母港とする空母ジョージワシントンの原子炉は濃縮度は95%の金属棒をつかうA4Wというウエスティングハウス製と いう。ウェスティングハウスのこの技術は現在ベクテル社が500人態勢で維持している。


世界の炉型式一覧

PWR技術はフランス、ドイツにも技術供与されて各国はこれをベースに進化させている。ロシアは独自に開発しているが原理的に大きな差はない。

世界にはPWRとBWRの他にカナダが開発した重水を使用するPWRであるCANDU、英国が開発したガス冷却炉AGR、チェルノブイリ事故で悪名高い RBMKがある。その一覧は下表の通り。

  good containement poor containement  
Country PWR CANDU AGR BWR RBMK total
USA 57 0 0 27 0 84
France 56 0 0 0 0 56
Japan 24 0 0 28 0 52
Russia 19 0 0 0 8 27
Korea 16 0 0 0 0 16
England 1 0 7 0 0 8
Canada 0 20 0 0 0 20
India 15 0 0 0 0 15
Germany 8 0 0 3 0 11
Ukraine 19 0 0 0 0 19
China 12 0 0 0 0 12
Taiwan 2 0 0 6 0 8
Sweden 4 0 0 6 0 10
Spain 9

1 0 10
Belgium 7 0 0 0 0 7
Czech 6 0 0 0 0 6
Swiss 0 0 0 1 0 1
Finland 2 0 0 0 0 2
Hungary 4 0 0 0 0 4
Slovakia 0 0 0 0 0 0
Argentine 0 0 0 0 0 0
Brazil 2 0 0 0 0 2
Burgaria 2 0 0 0 0 2
Mexico 0 0 0 1 0 1
Pakistane 0 0 0 0 0 0
Romania 0 0 0 0 0 0
S. Africa 2 0 0 0 0 2
Almenia 0 0 0 0 0 0
Holland 0 0 0 0 0 0
Slovenia 0 0 0 0 0 0
Total 267 0 0 73 8 375
% 71.2 0 0 19.5 2.1
世界の炉型 一覧

こうしてみるとBWR炉はマイナーな炉である。封じ込め性能が劣る炉はBWRとRPMKということになる。そして日本ではBWRの方が多いのである。なんと危険な国であるかがわかる。

米国     BWR x 27
日本           BWR x 28
台湾           BWR x 6
スエーデン   BWR x 6
ドイツ          BWR x 3

ロシア         RPMK x 8

考察

こうして技術史を書いてみるとすでにテスラがエジソンと袂を分かって創業したウェスティングハスは賢明にも原子炉技術全てを捨て去って東芝が拾った。直交論争といい、加圧・沸騰論争にしても技術的にはテス ラ側の2勝である。ビジネス的にはガスタービン技術で成功したエジソンの勝だが。それぞれ企業にはご先祖の遺伝子が残っているのが透けて見える。

先に紹介した寺沢廣一氏は自分のブログで『原子炉圧力容器の蓋を開けて燃料を交換するが、「格納容器の蓋を開ける」という設計思想はPWRでは考えられな い。炉型の違いによる安全性の評価にメスを入れなくては正しい判断が出来ないだろう』と。

関電の芦原社長の判断が曇っていた例として六ヶ所村への傾斜があるという。東電が渋っていた、再処理の民間による受け入れである、六ケ所村プロジェクトを 原燃産業という電力による企業で請け負うという決定は、東電が横をむいているため困った通産省が敦賀にある、新型転換炉ふげんの廃炉との取引を申し出て、 芦原さんが決断したという。ふげんの廃炉後、跡地にPWR炉を建設したかったのだろうか?この転換炉は重水を使うため、多量に残ったトリチウムの処理に苦 労している。

2012年7月、GEのジェフ・イメルトCEOはファイナンシャル・タイムズに「ガスと風力とPVの方向に世界はすすんでいてもはや原子力は正当化できな い」と公式にみとめた。ライバル、ウェスティングハウスはとっくにこれをみとめてガラクタを東芝におしつけ、軍事部門はベクテルに渡してしていたわけだか ら、これできまり。

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July 17, 2012
Rev. August 2, 2012


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