次の半導体の勝者は 

2015/9/30

坂本幸雄

エルピーダメモリ元社長

氏の経歴

「1947年生まれ、群馬県出身。70年日本体育大学を卒業し、日本テキサス・インスツルメンツ(TI)入社。工場長、事業部長、開発本部長を経て、93 年取締役副社長に就任。97年には神戸製鋼所とTIとの合弁会社KTIセミコンダクターの立て直しのため神戸製鋼所に転籍。2000年に日本ファウンド リーの社長(現ユー・エム・シー・ジャパン株式会社)に就任。02年エルピーダメモリの社長に就任、04年東京証券取引所第1部上場を果たす。12年2月 会社更生法の適用を申請、管財人を務める。13年7月管財人兼社長を退任13年10月、ウィンコンサルタント株式会社を設立。代表取締役社長・CEOに就 任。-財界記事より」


講演要旨

氏はまず経営者として育った環境から話を始めた。学生時代の目標は学校の体育の先生になることだったのだが卒業したときに腕試し、それも英語を使う職場と してTexas Instruments(TI)を選んだ。「最初の2年は倉庫番だった」そして自分では人事課長になれればいいだろうと思っていた。

ところが入社2年後、当時の米国人上司に精力的な仕事ぶりを評価され、企画部に異動になった。そこにいる間にかっての上司が部下になっていた。そして人事 と施設管理以外のすべての部署を経験すると、89年から2年間、米国のTI本社で全世界の工場の製造・開発管理を担当するマネジャーに抜擢された。2年間 でためたマイレージは200万マイルに達するほど世界を飛び回る日々をこなしつつ、世界最前線の半導体経営ノウハウを体得していった。立派な学歴を持った 男が部下になったが、どいうも真面目に働いていないのでキツイ評価したいがどうだろうと同僚に相談したところヤバイのでやめておけとアドバイスされた。し かしどうも許せなくて思った通りの評価をしたところ、顔を変えてでていったきりもどってはこなかった。自分の部下が上司になるのは愉快ではないと いうことも経験した。しかし悔しさをばねとして行動が変わるのでこの米国の制度はいいと思っている。

米国のCEOと社員の距離は短い。CEOと社員は常に分け隔てなく話ができる。しかし日本では社員は遠慮してCEOには本音は語らない。だからCEOはな にもわかっていない。米国のCEOは数か月の1度は自分から工場のフロワーにでかけて直接作業員を話すように心がけている。それに日本の組織は大きすぎ る。これではCEOが全部掌握なんかできない。

半導体需要には波があり、景気が悪くなるとキーとなる社員の給与は上がる。不景気はいいもんだとおもっていたという。反面、重要でない人はレイオフされ る。TIでは集積回路を発明したキルビーという人は経営者としてはだめだったが、その偉大な功績をたたえてフェローとして別格に厚遇するという面もあっ た。しか し一般の経営陣は厳しい査定の下で働いている。

そのうちに奥さんに「米本社務めをやめて日本に帰らないと離婚する」といわれ、日本に帰りたいと上司に申し出したところ、「やむをえない。しかし君はまれ な日本人だ。ここで働いてくれてありがとう」と言われた。というわけで91年に日本に帰り、TI Japanの取締役から半導体事業統括副社長へと順調に昇進した。誰の目にも「次の社長は坂本だ」と映り、自分もそ のつもりで仕事に突き進んだ。しかし97年、米本社が社長に指名したのは坂本ではなく、東京大学教授からTI筑波研究開発センター社長に迎えられていた生 駒俊明だった。(生 駒俊明はTI後,一橋大学 大学院 国際企業戦略研究科 客員教授,産業再生機構 監査役,日立金属 社外取締役,科学技術振興機構 研究開発戦略センター長などを歴任。2005年4月から,キヤノン 顧問。2009年1月に同社研究開発担当 特別顧問 総合R&D本部長、そして副社長になっている)

がっくりしたが、TIと神戸製鋼との合弁会社のKTIセミコンダクター設立のために神戸製鋼に転籍。結局これも上手くゆかず98年6月に米マイクロンがTI保有の KTIの株式を譲り受ける形で提携をまとめた。以後、マイクロンの技術と生産システム導入を坂本が的確に指揮したおかげで、98年度に190億円の最終 損失を出したKTIは、 99年度は約40億円の黒字に見事転換した。急速な技術革新に置いていかれることなく、タイミングを逃さずに巨額投資を実行する。「半導体はこれが最も重 要。同じ製品を何年も作り続ける鉄鋼業界の人では、どんなに優秀でも成功の確率は低くなる」。坂本は素早い判断力と決断力で名を上げた。

その後、日本ファウンドリー(現ユー・エム・シー・ジャパン株式会社)の社長を務めていたころの2002年にNECの社長が訪ねてきてエルピーダの社長になってくれと頼まれて引き受けた。ただNECにしても日 立にしても資金は一切出さないという。そこで半導体設計のコンサルティング会社であるマイクロンの出資を仰ぎ、米インテルの出資をえて日本政策投資銀行を 口説いて涙金をうけて市中銀行から資金調達を進めた。PCやMainFrame向けDRAM製造に加え、モバイル用機器のDRAM製造で黒字化していた が、借り換えができず資金繰りに窮して黒字倒産。

世の中の認識は「エルピ−ダメモリーで一度失敗したDRAM事業を如何にして儲け頭にしたか」というが、坂本氏が言いたかったのは「エルピ−ダメモリー のDRAM事業はうまくいっていた。なにもわからない日本の銀行が運転資金を融資しなかったから黒字倒産しただけ、その証拠に資本をだした米マイクロンは エルピーダメモリーから膨大な利益を得て、今ではNANDフラッシメモリーで東芝を脅かしているし、ソニーの唯一の技術CMOSイメージセンサーにも手を だしているということ。2014年にはマイクロンと社名も変えた。日本の経営者は銀行とゴルフなどするがそれをしなかったのが落ち度という人がいるかもしれないが、それこそが日本の悪しきビジネス 慣習。

こういう時、社長にはM資金とかヤバイ筋から2兆円やるから判をつけとかいろいアプローチがある。すべて断ったが、ホームの一番先には並ばないとか電車の 中では万歳しているとかしてまでして社用車には乗らなかった。このときの日本政策投資銀行の「DRAMなんて韓国から買えばいいじゃないか」という言いぐ さがまだ耳にこびりついている。マイクロンはこのエルピーダの収益で生き延びたのだ。2013年にエルピーダメモリの買収に伴う利益を14億8400万ド ルであると発表。「日本の銀行は儲けそこなったわけ。日本の銀行屋なんて何を守り、何を切り捨てるべきかわかっていない。この銀行と政府の役人の無知が日 本の製造業がだめになった主因。経産省の課長は社長を呼びつけるが、氏は米国では逆だと頑張ってゆかなかったら、課長はしぶしぶやってきた。しかし彼は何 かしてはくれなかった。アップルはわかっていて2年間のDRAM購入契約を締結して支援してくれた。涙が出る行いだ。

米国の経営者は高給をとるが、その秘訣は声がかかったときに高額の契約書を交わすからである。氏はそういう気もなく、薄給で働いてしまった。

東芝の粉飾決算についてだが日本のマスコミに出てくる監査組織を大きくして・・・などの対応策は全く有効ではない。いくら監査組織を大きくしてもコストがかかるだけで、不 正を見つけることはできない。まず詐欺罪というで刑法で裁かれなればならない事件だ。そして日本のようにCEOが次のCEOを指名するのは間違いだ。せめてCEOは 候補を4名くらい上げることでやめ、取締役会が合議で選任すべきだ。今のやり方では日本の経営はすべて破綻する。東芝の場合も、女性問題をうまく始末してくれたからCEOにするというようなことをしておたら腐敗するだけだ。

いまトヨタだけが黒字経営だが、いずれEV車の自動運転に負けるときがくる。そしてトヨタはEVと自動運転技術は買えばいいと考えているから次世代の主導 権はにぎれない。このトヨタの沈没とともに日本は終わる。ソニーは出井伸之のときに道を誤って、もう再起不能。シャープも厳しいだろう。パナソニックは白 物家電の企画を若い女性にまかせているので多少希望がある。秋葉原をみていると日本の若者ははまだ希望がある。米国のようなエンジェルは日本にはいない が、資金はまだ企業にあるわけだからこれをうまく投資すれば見込みはある。しかしCEO選定法がまちがっているし、下克上を嫌うので必要としているところ に資金は回らない。そして無駄に消費される。

日本政府は為替相場を安定化させる能力がないので結局日本の製造業は最終的に全部中国にいってしまうだろう。そうすると日本には何もなくなる。たとえば量子コンピュータの素子開発とか、人工知能の開発ということになるが米国に先行されている。

では日本はどうすれば良いかというと人材をどんどん外国から入れればよい。そうすれば、だらけた日本人もシャキッとするだろう。アメリカの成功の秘訣はこ こにある。

氏の著書は「不本意な敗戦

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October 1, 2015

Rev. December 1, 2015


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